おすすめnote詩「それ そのもの」
全体は三連での構成です。タイトルが好きです。「それ そのもの」。どこに強く惹かれる言葉なのか自分にはうまく説明できません。意味が閉じている、ループしている、だからなのでしょうか。言葉に方向性があるのなら、「それ」が「右向き矢印」で、「そのもの」が「Uターン矢印」といった感じです。
作品自体は、自分自身、あるいはヒトの存在や生命力と生物とのそれが対比されていて、生物に対してヒトのそれは希薄であり、故に羨ましく、またその希薄さを詩にしているのだと感じました。
一連目。
野菜が擬人化されています。ヒトと野菜、生物の対比構造が印象づけられました。
二連目。
「意外にも」の後、改行が行われています。読んでいると一瞬の空白があり、また次の行への息継ぎのタイミングとなっていてリズムを生んでいます。「わたしたち100年も生きる種族らしい」の箇所。わたしたち、の後の助詞、例えば「は」を外してます。ここもリズムを作っているように感じます。それと何だか言い方が面白い。そうか、わたしたちって「種族」なんだよなあ、ってこの文章で改めて納得させられますし、別の種族もいるんだよなあ、って思い出します。
そのあとに続く「セロトニン」「オキシトシン」など詳しくは知らないのですが、調べた限り「幸せホルモン」とも呼ばれていることを知りました。きっと大事なのはこれらは医学的な言葉であり、この後につづく「それ そのもの」と対比されていることなのではないでしょうか。
では「それ そのもの」とは何か?いや、「それ そのもの」以外ではないのですが、あえて言えば「存在感」や「生命力」といったものだと感じました。それは科学とか学術とは相反するものなのではないでしょうか。ヒトは科学や学術に頼る一方で、野菜たちはまるで別次元で生きている。だからこそ、生命力にあふれることが出来ている、そのことに対する憧憬を感じます。
戻って一連目。
「なんとなく水につけてた人参の頭から」の「なんとなく」に可笑しみを感じます。そう言えば子供だったころ、台所に水につけた野菜の頭がよく置いてあった気がするなあ、と懐かしく思い出しました。なぜなんだろうなあ。「なんとなく」だったのかなあ。今更ながら母親に理由を聞いてみることにします。
今日のメモ ↓
夢は詩のコンテストを主催することです。サポート頂けましたら運営資金に使用させて頂きます。優勝者の詩は例えば新聞広告の全面で発表する、などを夢見てます。ですが当面はインタビュー時のコーヒー代。謝礼等に使用させて頂きます。