おすすめnote詩「月の夜側」

まずタイトルにやられました。うわー、「夜側」かー、すごい言葉の使いかただなあ。そして、場面は夜の散歩からはじまります。

全体は四連になっています。行分けを細かく繰り返し、余白を多く作っています。それは夜の静かな雰囲気を感じさせます。

一連目。「闇」という単語にどきっとしました。どういう詩がはじまるのだろう、そんな感じです。続く「きみ」で、子供かな、恋人かな、と安堵をしながら進みました。「星ばかりうるさくて」で、そうか、あーいう夜の空はこういう風に表現すれば良かったんだあ、と教えられました。

二連目。「わたしたちは/照らされた側に/よび名をつけるのがすき」いいですねえ。そうだよなあ、よび名をつけてるよなあ、と何だか感心してしまいました。「夜、眠っていても/次の朝まで/わたしが/続いているように」ここも、そうだよなあ、そうだったんだよなあ、とすっかり文章に魅入られます。そういう「月」なのかあ。

三連目。「わたしたち/昼とおなじぶんだけ/ほんとうは夜」時間的なことではなく、きっと割合とか占有率のことなんじゃないかと感じます。

そして四連目。「ようやく」という言葉に強い印象を受けました。

全体。夜の散歩で三日月を見て発想を得た詩なのでしょうか。「月」と「私」の類似性について書かれているのだと思いました。どんなところに類似性があるのかというと、それは「照らされた側」だったり「照らされていない側」、「透きとおる部分」のところです。「月」にも「私」にも、そういう「部分」や「側」があるのだと思いました。そして私たちは、ある人の「照らされた側」にだけ「よび名」をつけて、その人のことを知ったような気持ちになったりするのではないでしょうか。本当は「透きとおる部分」、もしかしたら「闇」もたしかに存在しているのに。

さて、この詩では私は主人公はどうやら「母親」なのかな、と読みました。それは「きみ」によって「照らされた側」になります。でも、この詩で言うように人には「照らされていない側」もあります。そして主人公は、そちらに想いがあるように読みました。たまにそのことを想い眠れず、「ようやく」眠りにつく日があるのかもしれません。


今日のメモ ↓

夢は詩のコンテストを主催することです。サポート頂けましたら運営資金に使用させて頂きます。優勝者の詩は例えば新聞広告の全面で発表する、などを夢見てます。ですが当面はインタビュー時のコーヒー代。謝礼等に使用させて頂きます。