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オランジュリー美術館の「睡蓮の部屋」が思い浮かびます ー『モネ 睡蓮のとき』国立西洋美術館

 パリのオランジュリー美術館(Musée de l'Orangerie)はフランスの印象派画家クロード・モネ(Claude Monet、1840-1926)の大装飾画《睡蓮》を所蔵・展示するために既存の建物を改修して開かれた美術館です。他の印象派やポスト印象派の作品も所蔵するようになった現在でも、モネがこの美術館の重要な位置付けにある芸術家です。
 オランジュリーの《睡蓮》そのものではないのですが、パリのマルモッタン・モネ美術館(Musée Marmottan Monet)が所蔵する習作などの関連作品が来日し、国内で所蔵されている作品も集められて国立西洋美術館『モネ 睡蓮のとき』に大装飾画を感じられる空間が現れました。

オランジュリー美術館 睡蓮の部屋

 オランジュリー美術館はパリの中心部、1区のチュイルリー庭園の南西端にあり、細長い建物の長辺がセーヌ川に沿うように建っています。
 オレンジ栽培の温室でしたが、クロード・モネの大装飾画《睡蓮》がフランス国家に寄贈されると決まったのちに紆余曲折を経てそれらの作品を所蔵・展示するために改修されました。モネが亡くなった約半年後の 1927年5月にようやく開館しています。
 そして、この場所はシャンゼリゼ通りの東端にあるコンコルド広場に接しています。パリ・オリンピックで特設アリーナ「アーバンパーク」が設置され、スケートボードの堀米雄斗、吉沢恋、ブレイキンのAMIが金メダルを獲得した場所です。世界中に流れていたあの映像のすぐそばにモネの代表的な作品があったわけです。


 コンコルド広場側に入り口があり、持ち物検査を受けて右側の階段を降りた0(ゼロ)階に楕円形を2つ連結した形の展示会場があります。手前が第1室、奥が第2室で、モネの睡蓮8作品が展示されています。日本語とフランス語のタイトルは次のようになります。

 第1室
  《雲》Les Nuages
  《緑の反映》Reflets verts
  《朝》Matin
  《日没》Soleil couchant

 第2室
  《柳のある朝》Le Matin aux saules
  《二本の柳》Les Deux Saules
  《柳のある明るい朝》Le Matin clair aux saules
  《木々の反映》Reflets d'arbres


大装飾画の関連作品を中心とした『モネ 睡蓮のとき』

受け付けの先にあるロビーの風景

 上野公園にある国立西洋美術館では、現在『モネ 睡蓮のとき』が開催されています。モネが大きなサイズの睡蓮を制作し始めたのは 1914年、74歳だった頃です。そこから 86歳で亡くなる 1926年までの作品にウエイトが置かれています。

 1年前の 2023年10月に同じ上野公園の上野の森美術館で『モネ 連作の情景』展が始まりました。「100%モネ」というサブタイトルが示すようにモネの作品だけを様々な美術館から集めて開かれた展覧会でした。一人の芸術家だけを集めて開かれる展覧会は珍しく、大変だったろうと思います。今回はさらに時期とテーマを晩年の《睡蓮》に焦点を当てた企画になっていました。これはモネの作品を専門に所蔵・展示しているパリのマルモッタン・モネ美術館の48作品が来日したことで実現できたと考えられます。エピローグを含む5章構成になっていました。

  第1章 セーヌ河から睡蓮の池へ
  第2章 水と花々の装飾
  第3章 大装飾画への道
  第4章 交響する色彩
  エピローグ さかさまの世界

 大装飾画《睡蓮》の習作など11作品が今回の展覧会で中心的な役割を果たします。第3章エピローグで観ることができます。

 第一次世界大戦が終結した時期に、モネはフランス国家に作品を寄贈することを申し出ます。当初、ロダン美術館と同じ敷地に円形の部屋を持つ「オテル・ビロン」の美術館建設が計画されます。そこに納めることを想定した習作など、植物を題材とした12作品が第2章に集められていました。睡蓮の絵に一緒に描かれるのが柳ではなく《アバガンダス》の花であったり、天井が高いことを想定して睡蓮よりもさらに上、天井側に掲げる《藤》も描いていました。
 結局、新しい美術館建設を断念しますが、最終的な候補となったオランジュリーの天井の低さに合わせて要素を削ぎ落として大装飾画を具現化していくことになり、その過程で第3章やエピローグの作品が描かれていきます。

 第4章の20作品は大装飾画の制作とほぼ同じ時期にジヴェルニーにある自邸の庭で描かれた作品です。赤が多用され作品によって筆先の細かさが異なるため、それまでのモネの作品に慣れているとこの部屋に入ってびっくりします。視力が落ちている中での作品であり、荒々しい筆致になる理由はわかるのですが、一方で《日本の橋》8作品は筆先の細かさに違いがあっても睡蓮の池に掛けられた太鼓橋の弧の曲線の角度がどの作品でもほぼ同じように描かれていて絵画構成の重要な部分を押さえていることにも気付かされます。
 
 時期はさかのぼりますが、モネは 69歳となる 1909年に健康状態が悪化して筆を置いてしまいます。そうなる前の 21 作品を第1章で観ることできます。
 初期の《睡蓮》は睡蓮そのものが題材で、その後モネの関心は水面に反射する周りの草木や空の色に移っていきます。そのような変化の前、あるいは変化の途中の作品を確認することができます。
 セーヌ川岸の村々の風景のほかに、ロンドン滞在時のチャーリング・クロス橋やウォータールー橋の作品もありました。


第3章「大装飾画への道」とエピローグ「さかさまの世界」では……

第3章「大装飾画への道」の会場

 第3章「大装飾画への道」は会場の形が楕円形でした。第2章会場から階段を降ってこの部屋に入るとその形はオランジュリー美術館を思い起こさせます。入った反対側にも出入り口がありましたのでオランジュリーの第1室を模したようです。第2室は突き当りで、手前にしか出入り口がありませんので……

 オランジュリーでは複数のパネルを敷き詰めて1つの作品にしていますが、ここでは縦1.3メートルから2メートル近い大きめのサイズの個々の作品が間隔を開けて掲げられています。大装飾画のモティーフ(構成主題)になるような習作または関連した絵画です。大装飾画そのものではありませんが、雰囲気が感じられる部屋の作りになっていました。

 この部屋に入って最初に目に飛び込んでくるのが、向かい側の壁に展示されている作品番号 36の《睡蓮》です。あざやかな青色の空の間から湧き出てくる雲の反射が描かれています。オランジュリー第2室の《柳のある朝》のモティーフになっているとのことです。

作品番号 36《睡蓮》
手前から 作品番号 37《睡蓮》 41《睡蓮の池》 38《睡蓮》 42《睡蓮、柳の反映》
出口側から見たところ


 出口を挟んで左側にある作品番号 37の《睡蓮》も池の水面に雲が映っている作品でした。池の反対側に生えている草の向こうに明るい空とその間に浮かんでいる雲が反射しています。

 モネは当初、池に浮かぶ睡蓮の葉や花を描いていましたが、そのうちに水面に映り込む空や草木に関心が移っていきます。モネが一旦筆を置いてしまう 1909年以前に睡蓮を題材にしながら水面に反射する対象物として雲を描いた作品は2点しかないということです。このモネ展ではその一つ、吉野石膏コレクションで山形美術館に寄託されている《睡蓮》が第1章「セーヌ河から睡蓮の池へ」に展示されるはずでしたが取り止めになっていました。ちょっと残念です。

 作品番号 42、43、45の《睡蓮、柳の反映》はこの部屋の入り口近くに集まっていました。特に作品番号 43は柳の枝の揺れが緩いS字に描かれていて、それがオランジュリー第2室《木々の反映》のモティーフになっています。作品番号 45はこの部屋の他の作品より大きいサイズですが上半分が欠損しています。中央よりやや右側の残っている部分に柳の枝のS字下半分が描かれているのがわかります。

作品番号 45《睡蓮、柳の反映》
手前から 作品番号 39《睡蓮》 40《睡蓮》 43《睡蓮、柳の反映》
出口側から見たところ

 会場は第3章だけ撮影が可能でした。


 部屋が変わって、エピローグ「さかさまの世界」の2作品はオランジュリー第2室《柳のある朝》の習作でした。2つとも縦2メートルでやや縦長な作品です。向かって左側 作品番号 66の《枝垂れ柳と睡蓮の池》はオランジュリー《柳のある朝》の左端部分と同じように太い柳の木とそこから垂れ下がる枝が水面近くまで伸びている様子が描かれています。
 向かって右側に展示されていた 作品番号 67 の《睡蓮》は視点が近づき、柳の枝が水面の睡蓮のあたりまで伸び、睡蓮の手前の水面には伸びてきた枝がさかさまに反射しています。

第4章「交響する色彩」とエピローグ「さかさまの世界」の会場




 大装飾画《睡蓮》はオランジュリー美術館のウェブサイトで観ることができます。
https://www.musee-orangerie.fr/

  COLLECTIONS →  Les Nymphéas de Claude Monet
と進むと8つの睡蓮が出てきます。作品の画像をクリックすると絵の全体像がわかります。


 展覧会のインフォメーションは公式サイトや美術館のサイトを参考にしてください。

 国立西洋美術館のウェブサイト
https://www.nmwa.go.jp/

『モネ 睡蓮のとき』公式サイト
https://www.ntv.co.jp/monet2024/




常設展でもクロード・モネの作品があります

 今回の『モネ 睡蓮のとき』では国立西洋美術館が所蔵する松方コレクション9作品と個人所蔵で国立西洋美術館に寄託されている1作品が含まれていました。実は大半がいつもであれば常設展に展示されている作品です。国立西洋美術館ではそれ以外にもモネ作品を所蔵しており、常設展にはその一部が公開されていました。

 新館2階
  《並木道(サン=シメオン農場の道)》1864年
  《雪のアルジャントゥイユ》1875年
  《しゃくやくの花園》1887年
 新館1階
  《波立つプールヴィルの海》1897年


常設展に展示されていた《しゃくやくの花園》クロード・モネ 1887年

   

 モネ展第3章に展示されていた《睡蓮》(作品番号40)は国立西洋美術館の中でも重要な作品です。戦前の収集家、松方幸次郎がモネから直接購入した作品なのですから……。いつもであれば新館2階の最後の部屋に展示されています。そのままでは一番良い場所が空いてしまいます。睡蓮の定位置に代わりに飾られていたのは

  ピエール=オーギュスト・ルノワール の
 《アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》1872年

でした。

 

 常設展は『モネ 睡蓮のとき』のチケットで当日、入場できます。




『モネ 睡蓮のとき』は来年2025年2月11日まで東京の国立西洋美術館で開催され、その後、京都、豊田市に巡回します。
 京都は 京都市京セラ美術館で 来年2025年3月7日から6月8日まで、
 豊田市は 豊田市美術館で 来年2025年6月21日から9月15日まで開催されます。

 各会場で展示される作品が一部入れ替わります。
 国立西洋美術館 所蔵作品は東京会場で9作品が展示されていますが、京都、豊田市では3作品のみとなります。
 特に関心が高いと思われる第3章「大装飾画への道」では《睡蓮》(作品番号40)、《睡蓮、柳の反映》(作品番号45)は東京会場だけで、京都会場、豊田市会場では展示されません。その代わりに京都会場と豊田市会場では北九州市美術館が所蔵する《睡蓮、柳の反映》が加わります。
 マルモッタン・モネ美術館から出展された48作品は東京、京都、豊田市のすべてで展示されます。東京会場で展示されたのは全部で 64作品でしたが、入れ替わる作品は他にもあり京都会場は 54作品、豊田市会場でも 54作品となる予定です。
 ご注意ください。

(2024年11月13日)


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