
[本紹介] 中野円佳『教育に潜むジェンダー』
はじめに
こんにちは。#YourChoiceProjectのSです。今回は、東京大学卒のジャーナリスト・中野円佳さんの新著『教育にひそむジェンダー』(ちくま新書 2024)を紹介します。
著者の中野円佳さんは2007年に東京大学教育学部を卒業後、日本経済新聞社に入社し、2015年からはフリージャーナリストになりました。2022年度からは東京大学で男女共同参画室の特任研究員として働いています。
本著は、題名の通り、学校や家での教育が、子どものジェンダー観にどのような影響を与え、社会にどのような弊害をもたらしているのかを説いたものです。
中野さん自身が2人の小学生を育てる過程で、子どもたちに家でどのような教育をしているか、子どもたちは保育園や小学校でどのようなジェンダー観を持ち帰ってくるのか、などの実体験も書かれており、読んでいてイメージが湧いてくるような内容にもなっています。
今回の記事を読んで気になった方はぜひ、書籍を購入して読んでみてください。
(注)本記事はライターSの個人的な感想、思考を綴ったものであり、宣伝や販促の意図はございません。『教育にひそむジェンダー』の内容を全肯定するものでもないことにご留意ください。また、ライターSは男性です。(重要)
目次
はじめに
本書について
#YCPと通じる課題意識
おもちゃから刷り込まれるバイアス
男女共学の驚くべき現状
おわりに
本書について
本書の具体的な内容に触れる前に、本書『教育にひそむジェンダー』について概観しておきます。まず、本書は大きく4つの章からなります。
第1章 赤ちゃんから刷り込まれるジェンダー 〜おもちゃの好みは遺伝か環境か?
第2章 小学生が闘うジェンダー 〜理想と現実のギャップ
第3章 中高生の直面するジェンダー 〜思春期特有のジレンマ
第4章 大学のゆがんだジェンダー 〜差別とセクハラの温床なのか?
一見してわかるように、本書は子どもが育っていく時系列に沿って、赤ちゃん→小学生→中高生→大学生の順番で章が並べられています。そのため、日本の子どもたちが、生まれてから大人へと成長するにつれていかにしてジェンダー観を形成していくのかが理解しやすく、共感もしやすくなっています。さらに、各章が細かく節に分かれているため非常に読みやすく、広い話題に触れることができます。
また本書は、子育てをする親や教育関係者を対象に書かれているのではないかと個人的には感じましたが、「実際の大学生の声」も多く記録されていることにより、同年代の人たちの考えを知ることができるので、大学生でも読む価値が大きい一冊になっているといえます。
#YCPと通じる課題意識
お待たせしました。ここからは、本書の詳細な内容に踏み込んでいきたいと思います。全てについて言及することはできませんので、Sが個人的に注目したポイント3つに絞ってみていきます。
まず注目したのは、表紙にも書かれている、「はじめに」の中の一文です。抜粋します。
「日本のエリート層を形作る大学でいつまでも古い価値観を再生産していたら、社会はいつまで経っても変わらない。」
自分がここに着目した理由は、この考えが#YourChoiceProject の起こりと通ずるものがあると、第一印象で感じたためです。#YCP も、
「日本の国会議員やエリート官僚の女性比率が低いのは、その道に進む人が多い、東大をはじめとする首都圏難関大学の女子比率がそもそも低いからだ」
という考えのもと、難関大学の地方女子の比率をあげようとしています。価値観の問題に踏み込んでいる中野さんの記述の方が具体性がありますが、非常に似ていることは了解してもらえると思います。
この箇所で新しい知見や気づきがあったわけではないですが、#YCPの活動をする中で読んだこともあり、共通する課題意識を感じたので、個人的な注目ポイントとして挙げさせていただきました。
ちなみに、本書では、#YourChoiceProject の名前が何度か登場しています。第4章 p.159 では、2024年7月に#YCPが行った「県人寮への女子学生受け入れに関する実態調査レポート」が、女子が経済的な理由で家から通える進路を選びがちになっているという文脈で取り上げられています。次のp.160 でも、#YCP 代表の江森、川崎の著書『なぜ地方女子は東大を目指さないのか』が紹介されています。
このように、#YCP の活動が引用され、社会問題の認知に貢献していることは喜ばしい限りです。
おもちゃから刷り込まれるバイアス
次に注目したポイントは、「第1章 赤ちゃんから刷り込まれるジェンダー」の一節「赤ちゃんのときから刷り込まれるバイアス」です。ここでは、イギリスの公共放送であるBBCが2017年にYoutubeに公開した『Girl toys vs boy toys: The experiment - BBC Stories』(URL:Girl toys vs boy toys: The experiment - BBC Stories )という実験の動画を紹介しています。詳しくはリンクから視聴していただければ、分かりやすいと思いますが、要約すると、その実験の内容は次のようなものです。
1歳前後の2人の子供、マーニー(女の子)とエドワード(男の子)の服を交換し、性別を偽装する。さまざまなおもちゃがある部屋で、別々にボランティアのシッターと遊ばせると、シッターは子どもとどのような遊びをするか?
すると、次のような結果がみられた。
シッターは、男の子だと思われる子(マーニー)とはロボットやパズルで遊ぼうとし、女の子だと思われる子(エドワード)とは人形で遊ぼうとした。実験のあと、シッターに子供たちの本当の性別を明かすと、「女の子だから女の子らしいおもちゃを与えなければと考えていたのかもしれない」や「ステレオタイプを持っていた」などとシッターは振り返る。
どうでしたか?赤ちゃんのお遊戯の段階で、すでに大人たちのジェンダー観が子供の意識に入り込んでしまっていて、ジェンダー観を形成しているかもしれないという、ある意味ショッキングな内容だと、個人的には感じました。
本書のこの部分を読んで自分はふと、自分が子どものころのことを思い出していました。自分の記憶を遡ってみると3,4歳のころで、レゴブロック、カルタなどで遊んでいました。3,4歳のころの遊びでは、男女の区別はほとんどなかったと思いますが、5歳にもなると、「男の子らしい」おもちゃを選択し、「女の子らしい」おもちゃは避けるようになっていました。今思い返すとそれは、親が買ってくれていたあらゆる商品に、男の子は仮面ライダーなどの「男の子らしい」もの、女の子はプリキュアなどの「女の子らしい」ものの姿があったからかもしれません。あの時点で、知らず知らずのうちに両親や環境の影響を受けて、自分の中では男女の境界ができていたのでしょう。それが決定的になったのは、小学校に上がったときでしょうか。それ以降、同学年の男子の間では、遊戯王などのカードゲームが話の中心になっていきました。しかし、そこに女子の姿はほとんどなかったように思えます。
小学生の当時は「女の子はカードゲームを楽しめないのかな」と考えていました。現在では、少し考えが違います。「女の子はカードゲームを楽しいと思わない」のはそうかもしれませんが、それ以前に、「カードゲームが女の子向けには作られていない」ということがあるのでしょう。それはなぜか。当然おもちゃ会社がそうしていないからです。ではなぜおもちゃ会社は女の子向けに作らないのか。これも理由は明白で、「女の子はカードゲームをやらないから」でしょう。ここで、論理が循環していることに気づきます。
・女の子はカードゲームをやらない
・おもちゃ会社がカードゲームを女の子向けに作らない
という2つの命題の論理的な循環です。これはカードゲームという、社会問題とは離れた話題ではありますが、実は、本書に書かれたジェンダーに関するいくつかの事例が、この構図に帰着されることに気づけます。例えば、第4章p.172,3 で、ピアノの鍵盤が女性の手の大きさに合わせて作られていたり、医療の道具が男性がスタンダードになっていたり、台所が女性の身長に合わせて作られていたりという事例が紹介されています。
このように、ある意味での悪循環に陥っている状況を打破するには、その状況を認識し、正していくしかないですが、会社も自社の売り上げに関わることですし、現状で利益がでているのならば会社としては正していく必要性もないので、変えるのはなかなか難しいのかもしれません。
男女共学の驚くべき現状
次に注目したポイントは「第3章 中高生の直面するジェンダー 〜思春期特有のジレンマ」です。3章の特定の節に注目したというよりは、全体的に興味深く読みました。
というのも、第3章では主に男女共学の中高生が直面するジェンダーについて説明しているのですが、S自身が別学出身であるため、初めて聞く男女共学の現状に驚いたのです。(後述しますが、3章には別学の議論も一部出てきます)
特に印象的だったのが「なお残る「役割」のジェンダー」のp.108で取り上げられた次の声です。
『中学では部長、副部長が男子で女子のリーダーは女子代表として扱われた。部長会議には出席するし、ほとんど別に活動していたためやることは部長と変わらないのに、女子は内申書に部長であることが書けなかった。なぜ男子が部長副部長を務めて女子はそれより下の扱いをされなくてはいけなかったのか疑問だった』(一部抜粋)
この話は自分に大きな衝撃を与えました。お恥ずかしい話ですが、自分はフィクションの世界でしか共学の中というものを見たことがありません。その中でこのような嘆かわしいことが起きているかと思うと、正直ショックでした。共学を見ていない外野の自分がいうのは無責任でしょうが、最もショックだったのは、この学校の教師についてです。内申書で何をアピールできるか、これが重要なのは教師だって理解しているはずです。部活の伝統なぞは顧問の教師がコントロールできそうなものですが、にもかかわらずこのような声が聞こえてくるということは、指摘する教師が今までいなかったということなのでしょうか。また、この歪んだ伝統について教師に抗議する生徒もいなかったのかも疑問ですが、これに関しては、p.113にこのような声が掲載されています。
『高校では、特に男子のみが生徒会長や応援団長ができることなど、男尊女卑の傾向がかなり強い校風だった。中学入学時には違和感を覚えることが多かったものの、慣れによって疑問を感じなくなっていた。』
この事例に関しては、もはや部活という小さな世界ではなく、学校全体での格差を物語っているわけですが、個人的に怖いと感じたのが、『中学入学時には違和感を覚えることが多かったものの、慣れによって疑問を感じなくなっていた。』という部分です。この声を書いたのが男性か女性かは記載がありませんでしたが、いずれにせよ、差別的な扱いに子供たちを慣れさせてしまうというのは、もはや学校による洗脳に近いと個人的には感じました。「教育は洗脳」とはよく言われますが、これはそれを体現したような事例と言えるでしょう。
さらにこの3章ではもう1つのテーマとして「別学」の議論もあります。別学出身の自分としては興味深く読ませていただきました。印象的だったのは、別学に関する中野さんの意見の部分です。具体的には、女子校は、女子がリーダーシップを取れるので、世間に流布するバイアスに呑まれずにすむという大きなメリットがある一方で、男子校は存在意義を女子校ほどは主張できないという意見が書かれています。その理由として、男子校のメリットは、女子校とは逆に、部活や行事などで男子がサポート役をする姿をみることで、世間のバイアスに呑まれずにすむというものですが、そのサポート役を生徒の母親がしているケースがあるからというものでした。
自分の学校は校風として、生徒主導の学校生活というものがあったため、サポート役を生徒の母親がしているということは聞いたことがありませんし考えもしませんでした。その校風もあってか、自分も比較的、世間のバイアスを受けてはいないと自負しているので、この中野さんの意見に関してはピンときていない部分もあります。ですが確かに、サポート役を母親がしているという学校においては、逆にバイアスが助長されてしまいかねないとも考えます。
おわりに
自分は今回、『教育にひそむジェンダー』を読むことを通じて、新しいジェンダー問題について知るきっかけにもなりました。自分が男性だからこそ持っていた考えや、女性だったら不快に思うようなことも、まだたくさんあるのかな、と再認識させられるいい機会になったと感じています。
内容も興味深いとともに、非常に読みやすい書籍になっておりますので、みなさんもぜひ、手にとって読んでみてください。