なめてた。職業訓練における就職支援の授業で、まさかの涙。
こんなコロナの中、勇敢に自己都合退社したんだよ。そりゃあ、嫌な想いをたくさんしたに決まってるじゃん、だいぶ辛かったに決まったるじゃん。そりゃあ仕事を辞めるってさ、そういうことなんだよ。当たり前じゃん。
と、今ならそりゃそうよって思う。
転職活動では、もちろんきれいごとを並べるし、普通に退職届を出す時だって、友達になんで辞めたの?と聞かれた時だって、まあ方向性の違い的な感じのことを言うよね。それも決してウソではない。
理性的に考えて、結論だしたのは、そっちの理由。
だから、そんな奥深くの心の底なんてのぞき込むこともなく、浅いところで言葉と思考を流通させてたんだけど。
今日の授業で、自己PRと志望動機の作成のための自己分析をやらされて、今まで仕事で充実感を得られたことは何ですか?なんていう問いについて、つらつらと書いていたんだけど、つい昨日面接を受けて、自己PRをうまく言えずに失敗したばかりでナイーブになっていたこともあってか、、または今までの仕事人生を振り返ろうとするあまりか、なんだか瞑想を試みて雑念が沸いている時みたいに、色々な想いや記憶が去来する時空を飛んでる感じになってしまい、いつしかペンを握ったままフリーズしてた。
何について想いを巡らせていたのか覚えていないが、別にとりたてて辛いことを思い出していたわけではないと思う。
が、先生が、「ペンが止まっている人がいますが、自己分析はけっこう辛い作業なんです。色々振り返っているうちに、思い出したくもない辛い記憶がよみがえってしまうこともあるでしょう。」と言い出したんですよね。
「いいことだけ、膨らませて沢山紙に書いて、見えるところに張ってください。悪いことは思い出してしまったら、それは書いて、封筒に入れて、その封筒を、どっかに棚上げしておきましょう。」
そのやり方、おすすめしますって。
だけど、その時には私はもう、先生の声は半分くらいしか耳に入っていなくて、「思い出したくもない辛い記憶が・・」のところで、ぶああーっと目から涙が出てきて、まったく平静を保てなくなった。
そのあとも、休み時間にトイレに駆け込んで、30回くらい鼻をかんで、なんとか嗚咽をおさめた。
辛い記憶、もちろんあったけど、当時それを吐き出せる相手、愚痴れる相手も一人もいなかったから、言語化すらしていなかった。
本当につらいことというのはそういうもんだよね。
辛いんだよーっと思う存分、吐き出せる相手がいる人はかなりの幸せ者であって、それでだいぶ辛さは救われる。でも、本当につらい時というのは、そんな相手もいないし、だからこそ辛さもしみる。
さて言語化すらしてなかったし、もう過去のことで現在起きていることもでないし、だから忘れているし、なかったことになっていると思っていたんだが、眠ってた抱えてた辛い気持ちが起きてしまったんだと思う。
その先生の誘導で、まるで無我の境地で心が無防備になっている時に催眠術で誘導されるみたいに、ぶわあーっと辛かった時のことを思い出した。
どうなの、これ?
すごく感情を揺さぶられて、疲れた。
ただ、少しは感情を改めて涙として吐き出して、セラピー的なことになったのだろうか。時間をおいて、当時つらかったと思い出すことにポジティブな意味はあるのだろうか。そこから逃れられて、今は辛くないのだからよかったねということなのか。
転職初心者でもあるまいし、まったく真摯に臨むつもりもなく、参考程度にこなそうと思っていたのに。
まったくもって、びっくりした。
そしてこの自己分析は、けっこう、人生に惑っている私にやっぱり今一度やってみること、今一度正直に心の底をのぞき込んで本気で望んでいることを見直すことは重要だと思ったし、その時間を授業の中で取らされるのも割と何気にいいなと思った。
やっぱりいい大人はさ、そこから面倒見てもらえないじゃない、普通は。
そして自分でもいい大人だと思ってるし、忙しいから、自分でやっとこうと思うと、永遠にやる時間を取れないからさ。
授業中で、やらざるを得ないから向き合った、それは大きいかも。
そしてね、実は私は職安のおじさんに救われたこと、前にあるんだよな。
面接に行ったとき、なんとなく雰囲気がおかしくて、私はブラック企業っぽいなと感づいたんだけど、その会社に内定をもらって。
親は早く再就職してほしいもんだから、相談しても「そんなのあんたの気のせいじゃない。いいんじゃないの、入社しなさいよ」みたいな感じだし。
それで私は思い余って、職安の窓口のおじさんにどう思います?と相談したんだ。そうしたらおじさんは「直感でなんだか怪しいと感じたのであれば、辞めておいたほうがいいかも」と言ってくれたんだよ。
そして私は、その会社をお断わりして、その後、ほかのまともな会社に内定をもらって転職したことがあった。
後になって、本当にあの会社に誤って入社しなくてよかったと思った。やはり胡散臭いビジネスモデルの会社だったと後々からくりが理解できた。
もしもあの時、親のいうことをきいてしまっていたらと思うと心底ゾッとする。
身近な肉親より、見知らぬ職安のおっさん、である。
もちろん職安のおっさんにもいろいろいるだろう。とてもお役所的で、保守的で、というケースもあるかもしれない。
だがやっぱり、会社、家族、エージェントみたいに私と個人的な利害関係がないから、彼らの意見はフラットで、フラットに考えるための助けになるのかもしれない。