幻の一枚
玉元花菜(95年生まれ 宜野湾市出身)
高校生活の多くの時間を写真に費やした。毎日20時まで学校に残り、近所や地域行事を撮ってまわった。写真を通して沢山の素敵な出会いや経験ができた。私の青春はカメラに詰まっている。無くしてしまったデータは沢山あるが、どの写真も脳裏にしっかりと残っているのだ。その中でも特に思い出深い写真がある。その写真もデータは残ってないが忘れられない一枚だ。
私の住んでいる宜野湾市の真志喜には300年以上続く真志喜大綱引き*がある。高校2年生の時に綱編みから綱引きまで追いかけて撮影していた。一本一本の藁が束になり、編まれて一つの縄になる過程は新鮮で、この土地の人たちが紡いで来た伝統や思いを体現しているようだった。綱引きの綱ひとつをとってもこんなに思いがこもっているのかと、綱をより重く感じたのだ。
大綱引きの撮影の最終日、私は夕方から始まる綱引きの祭りにカメラを持って出かけた。去年はどこが勝ったとか、勝率はどっちがいいとか、そんな話が飛び交う。地域のダンス教室のフラダンス披露に始まり、旗頭の勝負*、アギエー*に続き、いよいよ綱引きだ。日も暮れてアコークロー(黄昏)の空をバックに老若男女みんなが綱を握って開始の合図が鳴る。
「ハーイヤ!ハーイヤ!」と両陣営の声が響く。綱引きも佳境に入り、会場は高揚感に満ちる。ピントを合わせようとしたとき、「バシャバシャバシャ!」と音を立ててフラッシュが焚かれた。たった1秒ほどのことだったが、フラッシュが焚かれる度にレンズの向こうでオーブと呼ばれる白い光の玉がブワーーーっと増えていった。撮れた写真にはびっちりとオーブが写っていたのだ。オーブは写真に魂が写ったものだなんて言われたりする。でも実際は、埃や光の反射が映り込んだに過ぎない。しかし、「風もないのに埃も舞っていないのになんでだ!?」と不思議でたまらない。この時ばかりは「見えざるものも、きっと綱引きが楽しくって仕方なかったに違いない」そう思ってしまった。だって私もシャッターを切る瞬間胸の奥が熱くなるのを感じたからだ。
撮った写真をまじまじと見てみると、みんなイキイキとした表情で見ているこちらがワクワクしてしまうほどのものだった。写真を撮る人なら分かってくれるだろうか。10人ほど写っているのに誰も半目でなくって、妙な途切れ方をしている人が一人もいない、全員の表情がイキイキしている、ピントも構図もばっちりな一枚は奇跡に近いことを。
この時の写真のデータはなぜか忽然と消えてしまった。
そんな体験からもう何年経っただろうか、真志喜の大綱引きもコロナ禍で長いこと開かれていなかったが、今年の7月数年ぶりに開かれるらしい。あの写真と同じものは撮れない気もする。それでも私は参加せずにはいられない。息と声を合わせて綱を引くその魂震える瞬間を知ってしまったからだ。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?