オバーと聞いたFM沖縄
新川 郁実(98年生まれ 西原町出身)
社会人になってからラジオを聞くようになった。出勤する前には、いつも、ラジオを流しながら支度をする。チャンネルはいつもFM沖縄。お弁当を作りながら、コーヒーのカップを探しながら、ニュースや渋滞情報に耳を傾ける。
情報を受け取る選択肢が「聞く」だけだからなのか、ラジオはテレビから流れてくるニュースよりも情報がスムーズに入ってくるし、記憶に残りやすい。私だけだろうか。
小学生の頃、オバーの家に行くと、いつもラジオが流れていた。仏壇のせいか線香の匂いがするオバーの家で、オバーとダイニングテーブルを囲みながら、いつも母の帰りを待っていた。オバーのお気に入りはFM沖縄。夕飯前のこの時間は、ラジオパーソナリティの話しがメインだ。『ゴールデンアワー』の沖縄訛りのパーソナリティが、視聴者からの投稿を読み始める。
ラジオをBGMに、オバーと私のじゃれ合いが始まる。
「今日、学校、どんなだった?」
ふつう~
「これ(賞味期限が不明のお菓子)、食べなさい。」
オバーの家来たらまた太る!(と言いながら、ついつい、ちんすこうに手が伸びる。)
「勉強してる?ちゃんとしないと。誰にも負けんよーって気持ちが大事だよ~」
分かってるし!次のテストは80点取るのに!
「は~!さすがバァバの孫!バァバも 一生懸命負けんよ~!って気持ちで生きてきたさ。頑張れよ!」
「お小遣いあるね?お金は大事にしないと。」
でもさ、今度さ、友達とさ、遊びに行くわけよ。だからさ、・・・お願い。
「はっさ、 もう~あんたは・・・。ふしがらん!」
(と言いつつ、1000円を財布から出す。)
「いーくー、今日来てる服上等だね~どこで買ったの?いくらだった?」
分からん、覚えてん!
「(私の服を触りながら)上等~、バァバもこんなの欲しいさ~」
母が仕事から帰ってくるまでの約2時間、オバーはひたすら話し続ける。
小学生の私は、オバーとふざけ合うこの時間が好きだった。オバーが時折語る自身の人生や価値観。今思えば、そこには、言葉で簡単に表現することが出来ない、オバーの歴史が詰まっていた。
でも、気がつくと、オバーもラジオも私の周りからいなくなっていた。振り返ってみると、中学校の頃がスタートだった。部活動が本格的になり、学校からの帰りが遅くなると、オバーの家に行かない日が1週間、2週間と続く。その間、オバーも歳を重ね、気づくと私の実家までの階段さえも登れなくなっていた。
でも、高校も大学も地元に進学したから幸いにも顔を見せに行くことはできた。
オバーと聞いたラジオは、今でも記憶に残っている。
オバーの好みは沖縄民謡よりも昭和歌謡曲。毎週土曜日の夜9時にラジオから流れてくる歌謡曲を口ずさみながら、疲労が溜まった膝にお灸を据えるオバーの姿は、今でも鮮明に浮かび上がる。アメリカ世(ゆー)、その後の大和世(やまとぅゆー)をも生きてきたイケてるたくましいオバーだった。
生あるものはいつかなくなってしまう。人間も、自然も文化も、いつかは形を失ってしまう。オバーはもういなくなってしまったけど、オバーが私に教えてくれたことは、頭の片隅にいつも残っている。
だからこそ、オバーが教えてくれた方言、沖縄天ぷらの衣の作り方、年中行事の意味、人生観、そしてオバーが歩んできた波乱万丈な人生を記憶から消したくないのだ。そんな思いと共に、私は今日もラジオから1日を始める。チャンネルはもちろん、FM沖縄である。
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