【アート】88歳・横尾忠則氏が同学年の楳図かずおさん追悼「電車に乗れないからといってわが家から…」回想。。。
美術家の横尾忠則氏(88)が6日、X(旧ツイッター)を更新。
「漂流教室」「まことちゃん」などで独自の世界観を展開し、88歳で亡くなった漫画家の楳図かずおさんを追悼した。
横尾氏も楳図さんもともに1936年(昭和11)生まれの同学年。
「楳図かずおさんが亡くなった。僕は彼と同い年なので、大変ショックです。同年者は一心同体なところがあるので、特に楳図かずおさんは身近に感じていたから、驚いています」と書き出した。
続けて「彼は豆が好きで2人の共通点です。電車に乗れないからといってわが家から何時間もかけて夜中に歩いて帰るんですよね」と当時の2人の交流を回想した。
横尾氏の投稿に対し「不思議とお二人作風が近い気がします」「楳図かずおさんとのすれ違いが、彼を身近に感じさせる貴重な体験だったことが伝わります」「電車に乗れない?車内の視線が怖いのかな?」などと書き込まれていた。
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【横尾忠則の就活】
1955年 - 武蔵野美術学校受験のために上京するが、前述の教師の助言もあり断念。西脇市織物祭のポスターが1等入選。郵便局員志望だったが、加古川の成文堂印刷所に入社。
1956年 - 神戸新聞にカットを投稿していた常連5人にて神戸の喫茶店で個展を開催。そこで「神戸新聞宣伝技術研究所」にスカウトされ神戸新聞社へ入社。
1959年 - 23歳。神戸新聞社を退社。大阪のナショナル宣伝研究社に入社。
1960年 - ナショナル宣伝研究社の東京の移転とともに上京。日本デザインセンターに入社。安保反対のデモの後でタクシーのドアで指をはさみ骨折。
◉私、横尾忠則さんが入社した「神戸新聞宣伝技術研究所」で2年ぐらい取材ラーターの仕事してました。(そのときに、コナミにいた小島秀夫さんにインタビューに行きました)
会社の名刺には、「牧神」が描かれており、その牧神は横尾さんが描いたものだと聞き、いまでも、名刺は宝物として持っています。
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