「その顔はなんだ!その目はなんだ!その涙はなんだ!」。クラブ歌手からヒーローへ…ウルトラマンレオ50周年 「真夏竜」インタビュー〈1〉
「ウルトラマンレオ」は、これまでの「ウルトラマンシリーズ」とは異なり、レオ=おゝとりゲンが、特訓を重ねながら精神的、肉体的に成長していく過程や周囲の人々との関わりが深く描かれた。
一方で当時はオイルショックの真っ只中。
「物価の高騰などが制作現場にも影響を与えて、光学合成などの特撮が多用できなくなった」(制作関係者)ことで、それまでのウルトラマンの代名詞であった光線技が抑えられることになった。
真夏は、そんな「―レオ」の主役に抜てきされた。
「役者になる近道じゃないけど、最初、僕は横浜のクラブで歌手をやっていたんです。そこに客として来られていた真船禎監督と知り合った。この初対面から3年くらいたった頃かな。『新しい作品の主役が決まらない。明日、TBSに来なさい』って、連絡をもらったんです」
「―レオ」の主役を決めるオーディションには3000人の応募があったが「これだ!」という俳優が見つからなかった。
72年に放送されたドラマ「剣道一本!」(主演・三浦友和=フジ系)で俳優デビューはしていたが、過去の「ウルトラマンシリーズ」で何度もメガホンを執っていた真船が白羽の矢を立てたのが、無名に近い存在の真夏だった。
「たまたま埼玉の実家に帰省していたんだけど、そこに真船監督から電話があったんですよ。今思うとね、どうやって実家の電話番号を調べたのかな? あの日は両親が買い物に出ていて、ちょうど留守番をしている時に電話が掛かってきたんです。ボクが家にいなかったら、チャンスを逃していたかもしれませんね…監督、随分、居場所を調べたみたいだったなあ」
それほど真夏の事が印象に残っていたのか。果たして、TBSでの面接には、真船の他に円谷プロ・熊谷健、TBS・橋本洋二の両プロデューサーも同席していた。
「部屋に入った途端に『君、アクションができるか?』って聞かれたことを覚えています。『芝居ができるか?』ではなかった。『少林寺拳法をやっていました』と答えましたが、それが決め手になったのかな。すぐに『合格』となったんですが、そこからが大変でした。(防衛チームの)MACの隊員服を合わせたり、主題歌を歌わされたり、記者会見もあったり…心の準備も何もない。1週間くらいでバタバタと収録に入ったことを覚えています」
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前述したように制作費の削減に加え、「(73年公開の)『燃えよドラゴン』でカンフーがブームになっていた」(制作スタッフ)ことも相まって、「―レオ」は「宇宙拳法の達人」として描かれ、格闘戦が軸になっていった。
少林寺拳法の使い手である真夏は、言わばうってつけの存在だった。
しかし、それが「悲劇」のはじまりだった・・・。
(協力・円谷プロダクション)=18日に続く=
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