【インタビュー記事】他者の辛い記憶や悲しい思い出
「愛を形に残す」
日に焼けた大きな手が、細い指の伸びる華奢な手に重なり合う。重なり合ったふたつの手は、華奢な手の持ち主のお腹にある小さな膨らみを優しく包み込む。
この膨らみの中、愛に満ちた海で六ヶ月を過ごした子は、十一月とは思えないほど季節外れな暖かい陽射しに照らされながら、澄み渡る青空を高く高く昇っていった。
結婚から四年。一筋縄ではいかなかったものの、やっと宿った小さな命との対面は「あまりにも静かで、世界から音が消えてしまったようだった。」という。
ミナミさんが異変に気付いたのは、日課である赤ちゃんの心音確認をしていた時。「その日は朝やっても夜やっても何も聞こえなくて。『赤ちゃんの向きや位置にもよるから…』と思った後、そういえば胎動が全然ないことにも気がついた。翌朝すぐに病院に駆け込んだけど、やっぱりダメだった。」
予定日まであと四ヶ月。お腹の中で心臓が止まっていた。
妊娠六ヶ月以降に亡くなった胎児の出産は「死産」とされるが、通常の出産と同様、分娩台にあがって我が子との対面を迎える。
「分娩のために入院するまで一日空いてしまって、どんな気持ちで過ごせば良いのかわからなかった。それでも、この子が居たという証を残したかった。」
そう考えたミナミさんは、ご主人を連れて写真スタジオへ向かっていた。ミナミさんもご主人も一度何もかも忘れて、周りから見れば「普通」の、「幸せな家族」三人で撮影を楽しんだ。
担当医師の出勤状況に依った日程だったそうだが、この〝最後の一日〟が彼女たち家族に与えられたのは、偶然ではなく必然であった気がしてならない。この死産の前にも流産を経験しているミナミさん。そのせいなのか、望んでいるはずの妊娠を望んでいないようにさえ見えることがあった。
妊娠を報告する時や、妊娠生活を語る度についてくる「まだ誰にも言ってないんだけど…」「これから何があるかわからないんだけど…」という枕詞。
しかし、スタジオで撮った写真を見ればすぐにわかる。彼女たちがどれだけこの子を待っていたのか。愛していたのか。
今、家族「三人」で一緒にいれてどんなに嬉しいのか——
「この子が居たという証」でもあり、目には見えない愛がその写真には写されていた。
ミナミさんも、不安に覆われてしまった日々を後悔しているという。
「だから、次は、全身全霊で『来てくれてありがとう』と言いたい。不安なことだらけだし、いろいろ考えてしまうけど、それでも目の前にある幸せに目を向けて、一瞬一瞬を大切に過ごしたい。」
そう話してくれた彼女のトートバッグには、ピンク色の小さなキーホルダーがついている。
そのキーホルダーに描かれている、穏やかな顔の赤ちゃんとそれを大切に包み込む母親のイラストは、あの日の彼女と赤ちゃんそのものだった。