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【対談エッセイ】田中美登里 氏×瀬戸山玄 氏

※本記事は、宣伝会議「編集・ライター養成講座49期」の講義内課題で作成しました。
※ラジオパーソナリティの田中美登里さんと、ドキュメンタリストの瀬戸山玄さんの対談を基に作成したものです。

 「瞬間を届ける」

親しい人との会話でふと感じる温もり。
美しい景色を見たときに心に浮かぶ思い。
様々な行動の裏に隠された本心。
自分のことを理解してもらえない苦しみ。
触れることも見ることもできず、その瞬間に空気の中に埋もれ、消えてしまうもの。
ラジオや文章といった媒体には、それらを掬い上げて〝残す〟役割があるのかもしれない。


「その時限りのものを〝残す〟ことができる。」
ラジオ放送を音源として残すことの良さをこう語るのは、TOKYO FMで三十五年続く『トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ』のパーソナリティを務めた田中美登里さん。
当番組は『ギャラクシー賞』において、計四回も賞を受賞している。
この経験から、「放送を音源として取っておくと良いことがあるんだなぁと思いました」と笑う田中さんだが、原点は幼稚園時代に遡る。

テープレコーダーと共に過ごした幼少期。
田中さんは、自身の声やピアノの演奏を録音して、遠く離れた地に住む祖父に送っていた。
「機械の好きだった祖父がテープレコーダーを買ってくれて、そこから『声の便り』のやり取りが始まりました。私が送ったものに対して、祖父は尺八の演奏や百人一首を読み上げたものを送ってきてくれたり」と昔を振り返る。
この頃から、田中さんの音を〝残す〟試みは始まっていたのだ。

消えてしまうものを〝残す〟行為には、ライターの仕事に通じるところがある。
人が話す言葉は、口から発されて相手に届くが、もちろん目には見えない。心に〝残る〟ことはあるかもしれないが、時間の経過と共に記憶から消えていってしまう。
しかし、消えてほしくない言葉、まだ見ぬ誰かに届いてほしい言葉は日常に溢れている。
この儚い言葉を永遠のものとして〝残す〟、そして誰かに届けるという行いには、ライターとしての最大の魅力があるのではないだろうか。


言葉は時に偉大で、時に残酷な力を持っている。
誰かを鼓舞し勇気づけた言葉が、他の誰かにとっては重圧となり苦しみや悲しみを呼び起こすかもしれない。
救いを与え、寄り添う存在となり得るが、鋭利な刃ともなり得るのだ。

〝残す〟ということも、時や場所を超えて人々の心に影響を与え続ける可能性を秘めている。
その一方で、残されたものが時間の経過と共に独り歩きしてしまう危うさも孕んでいる。
〝残す〟行為に関連して、田中さんの対談相手である、ドキュメンタリストの瀬戸山玄さんはこう語る。
 「人との出会いを一度限りの出来事として終わらせるのではなく、その関係性を細くとも残していく。多くの群れの中で関係が残っていくことで表現の世界が生き続けられる。」

音源だけでなく、言葉だけでなく、人との繋がりだけでなく、全ての消えゆくものをどのように残し、どのように届けるか。
瀬戸山さんが語ったように、「表現する」とはこの営みの中にあるのだろう。

私がライターを目指す理由も、この「表現の営み」の中にある。
日常の中に溢れる一瞬の感情や、心を揺さぶる言葉の中にある価値を見極め、文字として〝残す〟。
その結果、その言葉がどこかの誰かの背中を押し、救いとなり、あるいは、苦しい時にそっと寄り添う存在になる。
リスクと偉大な力の両方を兼ね備える、「消えてしまうものを〝残す〟」行為。
それでも、消えていく言葉の中から〝残す〟べきものを見極めて誰かに届ける、ライターの責務に私は魅了されているのだ。
誰かの気持ちに寄り添い、その言葉が届いた誰かの感情に変化や助けを与えるライターの仕事には、小さいけれどとても大きな力があると確信している。


そのために私は言葉を〝残し〟続ける。
誰かにとっての光となる言葉を拾い上げるために。

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