元気なニート生活振り返り~お外時間の充実編~
8月末、背中を押してもらって乗っかった清水の舞台からそっと降り、京の都から東京に帰ってきました。
会う人会う人に「今何してるの?」と聞かれました。
無職になって、実家に帰ったので何も言えず「元気なニートです!」あるいは「プロネットフリクサーです(そんな言葉あるのか知らない)」と答えて、周りを困らせていました。
私的には、京都での政治活動〜選挙は怒涛な半年間だったので、「なんもすることないな!」と思える日々なんて、飽きるほど暇でした。
けれど、8〜10月の3ヶ月間、家族と過ごしたり、友達と映画見たり、チームラボに行ったり、山梨のワイナリーに行ったり、ひとりでのんびり散歩したりお茶したり。
久しぶりな人とお茶したり、応援してくれた人たちにたくさんごちそうになったり、
私にとって鉄分でありビタミンな時間でした。
せっかくできたニート生活で気づいたことを、忘れないようにしたいと思います。
それは、
同じ土地にも異なる生活があるのだと忘れないこと
私は小さい頃、よく祖父に上野の美術館に連れて行ってもらいました。
おかげで、西洋美術館をゆっくり見て回るのも、上野公園のスタバで家族やカップルを見ながらぼけーっとするも、国際子ども図書館で戦前・戦中・戦後の絵本を眺めるのも、大好きな時間です。
(国際子ども図書館📚
ここには戦前・戦中・戦後の絵本が保管されています。やっぱり内容やトーンがぜんぜん違って比べるのはとても楽しいです。子ども向けのストーリーだからこそ、自分の思い込みに気づく絵本や、”ママとの仲直り方法(ハグする)”みたいな大事だけど忘れがちなことも思い出す絵本など、大人でも豊かな時間が過ごせると思うので、とてもおすすめです。次は友達や好きな人などと行って、絵本を広げてどう見るかシェアしたいなと思っています。)
台風19号が過ぎた次の日、美術館か図書館に行こうと、私はふらっと上野に行きました。美術館群を抜け、大きな木のある広場に差し掛かったころ、お味噌汁のいいにおいがしました。
「あら、フェスかなんかかしら」と思ったのもつかの間、自分ののん気さが恥ずかしくなりました。
いいにおいの元はホームレスの人たちへの炊き出しだったのです。
同じ上野という場にいても、生活はまったく異なり、ホームレスの方々がひどい台風を乗り越えて炊き出しを受け取っている中、
私は普段実家でぬくぬく過ごしていて、ふらりと来た上野で、「いいにおい」って思ってしまった。
社会の光が当たらない部分を見ていきたい。人の痛みと悲しみに目を耳を傾ける人になりたい。
って思っている、本気で思っているのに、自分の視界が狭かったことに驚きました。
そして心底恥ずかしくなりました。
これはたぶん上野だけの話じゃなくって、どこにいてもそうだと思います。
少子化だから子どもがんばって産もう育休増やそうなんて言いながらも、大荷物と赤ちゃんを抱えるお母さんたちの階段上り下りの手伝いもしない。
ドラッグなど、確かに道を外した行動かもしれなけれど別に人を殺したとかの大事件でもないのに、彼ら彼女らの抱えてきた苦しみには理解を示さず批判するだけで、どうしたら今後広がらないかなど、前向きな議論もしない。
同じ時間に同じ場所に居ても、みんなの生活は違くって、自分はハッピーでもどこかに悲しんでいる人困っている人がいる。
自分のことだけじゃなくてもっと周りを見よう。
見るというか気づく目線を持たなければと、強く強く心に書き込んでいます。
元気なニート生活〜おうち時間の非日常編〜 もまとめてみました🏠🍩