マダミスというジャンルが存続するにはゲーム性と推理要素が必要だ
本稿はマダミスプレイヤーのための記事である。マダミスを知らない人は過去記事参照。
マダミスの楽しさの源泉
マダミスには①物語性②ゲーム性③推理要素④ロールプレイの4つの面白さがあると私は思っている。ゲーム性というのは、目的の異なるプレイヤー同士の相互作用全般を意図している。最も一般的なのは、真相を隠蔽しようとする側と真相を暴こうとする側の対立である。
これら4つの要素がミックスされて作品が出来上がっている。混合比は作品によってまちまちだが、現在のマダミスの主流はロールプレイ重視である。もちろん私の主観も多分に含まれている。が、例えば以下の記事でランキングに入っている作品のうち、ロールプレイ重視の物をカウントしてみれば主流なのはロールプレイ重視である旨には同意してもらえるはずである。
4要素がミックスされていることがマダミスというジャンルの特徴であると私は考えている。推理だけしたければ推理小説を読めばいいし、ロールプレイだけしたければ演劇や声劇をやればいい。ゲーム性に魅せられたならボードゲームで代替可能だし、物語への没入感を味わいたいならTRPGの方がいいだろう。
いずれの要素も大切
本稿での主張は「物語性、ゲーム性、推理要素、ロールプレイのいずれもマダミスにとって必要不可欠である」というものだ。少なくとも私が高く評価する作品には上記4要素がいずれも含まれている。
凡庸な主張だと思う人もいれば、「ゲーム性と推理は不可欠ではないのでは?」と思う人もいるだろう。なぜこんな主張をわざわざブログでするのかと、ゲーム性と推理の要素を私が重要視する理由を説明する。
本稿を書くに至ったきっかけはゲーム性と推理要素に乏しい作品をちらほら見かけるようになったためである。もっと具体的に言ってしまえばプレイヤーのプレイングが物語に影響を及ぼさない作品であったり、推理をする側にとってアンフェアな作品が確認されたためだ。私はこういった作品の評価点が低くなる。マダミスはゲームであるにもかかわらず、プレイングが物語の結末に影響を及ぼさない作品はゲームとして成立していないし、推理する側にアンフェアな作品はゲームバランスが崩壊しているためである。
上でリンクを貼った過去記事にも書いたが、マダミスでは犯人とそれ以外のキャラでの対立構造が度々存在し、それを快く思わないプレイヤーも存在する。せっかく仲のいい友人と一緒に参加したのに対立しないといけないのが辛いとか、逆に見ず知らずの人と疑ったり疑われたりするのは好みではないという意見はたまに聞く。その気持ちは良く分かる。だが、ゲーム性と推理要素を取り除いてしまうとマダミスはTRPGの1ジャンルに収まってしまう。私が恐れているのは数年後にマダミスというジャンルがTPRGに吸収合併されることである。
私はTPRGに明るい人間ではない。2度ほどしかプレイしたことがないし、プレイしたのは以下に示す特殊な作品である。
だが、没入感で言えばTPRGの方が高いことは記憶している。マダミスと比較すればTRPGの方が自由度が高いため、物語性やロールプレイだけを求めるのであればTPRGの方が望ましいと私は考えている。もちろん、十分な時間があればの話ではあるが。
ではマダミスがTPRGに勝る点は何か?それがゲーム性と推理要素、そして遊びやすさであると私は考えている。プレイヤーは他プレイヤーと協力するかもしれないし、対立するかもしれない。嘘をどうつくかで大きく展開は変わるし、場合によっては議論の方向を捻じ曲げることだって可能だろう。それがプレイングだ。できれば犯人をやりたい、探偵役をやりたいと希望するプレイヤーが散見されるのもゲーム性や推理要素ゆえだと私は思う。事前準備が少ない状態で遊べるのもマダミスのいいところであり、初心者でも遊びやすいのも良い。
終わりに
数年後もマダミスというジャンルは残っているかを考えた時に、TPRGの1ジャンルに収まるビジョンが見えたので本稿を書いた。マダミスでは作品内に魅力的な謎があってプレイングによって物語が大きく変動するようだと一人のマダミスプレイヤーとしてはありがたい。もちろん推理小説のような高度なトリックだとプレイヤーは誰も解けないので匙加減が必要なのだが、マダミスが一つのジャンルとして確立して今後も存続していくためには必要だと私は思う。
マダミスという同一テーマでブログ記事を何度も書くのは流儀に反するのでこれで終わりにしたい。ちなみに私の好きな推理小説は米澤穂信氏の満願である。