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2023/03/29 目の前で本が売れなかった

店頭で僕の本を立ち読みしている人がいた。後ろのベンチに座って、こっそり観察してみた。

高校生か大学生ぐらいの女の子だった。真剣な表情で、じっと脇を閉じて、「はじめに」を読んでいた。小さかった。それは、脇をぎゅっと閉じていたからかもしれないし、僕より身長が低かったからかもしれない。黒くてツルっとしたタイトなズボンを穿いていて、やけに細身に見えたからかもしれない。ただ、とにかく小さく見えた。小さな女の子が、僕の本を真剣に読んでいた。

僕はベンチで小さく縮こまって、その子のことを見ていた。僕も小さかった。彼女よりも身長は高かったけれど、同じぐらい小さかった。2mほど距離を空けた僕とその子の間を、誰一人として他の客は通らなかった。だから、その空間は僕とその子だけのものだった。静かな時間だった。

贈り物に似ている。プレゼントを渡して、渡した相手がそのプレゼントの中身を確認するまでの時間に似ている。バリバリ包装を破って、ガサゴソ袋を開けて、小さな吐息で場が繋がれて、そういう時間。期待と不安と、けれどやっぱり期待に期待してしまう、そういう時間だった。永遠には続かないことが分かっているから、良い時間に思えた。

女の子は「はじめに」を読み終えた後もなお、じっと固まったまま読み続けた。そうして丸々1章分ぐらい読み続けた後、ある瞬間に突然パフッと軽い音を立てて本を閉じ、何の未練も見せず去っていった。僕たちの間を繫いでいた静かな時間が途切れた。買ってくれなかった。山積みの本は、折り畳み式の頼りない机の上で綺麗に整列されたままだった。僕の目の前で、本が売れなかった。

本屋に置かれる本は、出版社への返品前提で仕入れられる。本屋にどれだけたくさん山積みされても、売れなかったら倉庫に積み戻される。だから、いくらネット販売でたくさん売れたとしても、本屋でたくさん売れ残っていたら、重版はかからないらしい。本屋さんの店頭での寿命なんて、1週間や2週間だろう。もう5日が過ぎた。数千冊を売る必要がある。友達や親戚がいくらたくさん買ってくれても、数百冊だろう。

みんな、どこにいるんだろう。誰かに、届いてるんだろうか。やっぱり誰にも届いてないんだろうか。

うるさい。深夜1時に、外で奇声を発している男がいる。奇声と書いたが、彼らなりに仲間とコミュニケーションをするための言語らしい。まともな文法が伴っていないし、伴わせる気もないから、下等な言語なんだろう。大きい音を出す人間が、この世で一番嫌い。

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