【き】キスマーク(五十音の私)
「Yちゃん、キスマークついてるんだって」
「え? おおーん? へえ~?」
中学生の頃。ある日、よく話す友達が声をひそめながら言ってきた。
キスマーク? あの、アニメとか漫画でよく出てくる、主人公のほっぺたとかにぶちゅぶちゅついている真っ赤な跡のことだろうか。それがなぜYちゃんに? さりげなくYちゃんを見たが、どこにもそんなものはついていない。
「ちょっと待って! キスマークって意味分かる?」
「ん???」
期待したような反応がないことですべてを察したのだろう。友達は、Yちゃんについて話したのとはまた違う驚きの表情を浮かべた。
「男子とそういうことするときに、わざと首とかに跡つけるの!」
「え、どういうこと? 口紅つけるの?」
“男子とそういうこと”は一瞬面食らいつつも理解したが、次の情報の意味に追いつけない。そんな遅れに遅れた私をからかうことなく、友達は一段と声量を絞ってキスマークとはなんたるかを丁寧に教えてくれた。
衝撃を受けた。その日、私は10段跳びくらいで世間について学んだだろう。自分一人のスピードで生きていたら、高校生になってもその類いの知識を習得できていなかったはずだ。
当時の私の楽しみといえば、部活でやっている吹奏楽、テレビゲーム、読書、パソコン教室くらいだった。キスマークにもう一つの意味があるなんてどこで知れというのか。
なんか、みんなすごいところにいるな…。人間関係というものが初めて生々しく感じられ、うろたえた。同じ場所で同じレベルの授業を受け、同じことで笑い合う。学校を出ても同じようなものだと思っていた。
例えば休みの日。電車に乗ってわざわざ少し離れた町の図書館へ行き、商店で1個30円だか50円だかのメロンパンを「安い!」と言って買い、海辺に移動してカモメを見ながら食べる…。
私がそんな時間を過ごしているうちにも、同年代の子たちは着々と“そういうこと”をしたり、実際するには至らなくともしっかり“そういうこと”に関する知識を蓄えていたのだ。その格差に笑えてきた。
恋愛に無関心なわけではなく、なんとなく気になる子もいたが「性」を意識したことはなかった。当時の私にとって恋愛対象とは観察していたい相手であって、身体的に接触したい相手ではなかった。ほどよい距離にいて、面白いつぶやきだけ聞き漏らさず、アハハえへへと笑えていれば良かったのである。
さて、大人になっていく同級生たちの中でも圧倒的存在感を放っていたYちゃんだったが、実は保育園の幼馴染だった。学区の関係なのか小学校では離れてしまったものの、私の実家が飲食店をしており、たまに家族で食べに来てもくれ、そのたびに軽く近況を交わした。
高学年になるとお店に来る頻度は減り、中学校で久しぶりに再会したときは確かに昔の面影がだいぶなくなっていた。短絡的に言うなら、すれていた。周囲の大人にいささか反抗的で、制服や指定ジャージを着崩し、椅子にはだらりと腰かけ、どこか投げやりな話し方をする。もとは屈託のない印象だったから驚いたものだ。
しかし、幼馴染のよしみか、積極的につるみはせずとも近くにいれば気楽に喋った。心なしか、私と話すときは悪ぶった感じの口調が少しやわらいでいたような気もする。Yちゃんからすれば、自我の芽生えが遅い旧友を見守るような気持ちだったのだろう。
一度だけ、Yちゃんが「あいつらがうちと一緒にいるのは金目当てだよ」と言ったことがあった。今つるんでいるメンバーは、ご飯代を出したり物を買ってあげたりしているから自分の周りに来ているだけだと。
口調はからりとしていたが寂しそうに見えた。あるいは私が感じた寂しさを投影していたのかもしれない。
ああ、本当に大人になってしまったんだ—―。キスマークの噂よりも、本人から人間関係に対する諦めのような割り切りのような言葉を聞いたときに、なぜか強くそのことを実感したのだった。
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