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極私的指圧考


指圧との出会い

私が指圧と出会ったのは、遠藤喨及氏のこの本でした。
専門学校入学前のことです。
当時、心理学や心理療法の棚で見つけた気がします。ボスナック教授というユング派の分析家が序文を書いていらして、河合隼雄先生の京大での夢分析のセミナーに招かれて来日された際に、奥様の交通事故の後遺症や、ご自身の永年の宿痾である腰痛が、遠藤先生の指圧によって魔法のように解消されたことが語られ、その驚きとともに、東洋療法の神秘と可能性についてこの若き師に学ぶとよいでしょう・・と熱くお勧めされていました。

私は大学時代は心理学専攻の学生として、ユング派の先生方の著書で翻訳されているものは、ほとんど読んでいましたので、あのボスナック先生が…と勝手に親近感を覚えて、その言葉をストンと鵜呑みにいたしました。
そして調べてみると、遠藤先生の道場は当時、私が住んでいた京都市内のごく近くにあったのです。

でも、結果としてその時はその指圧を受けに行きませんでした。
思いたったらすぐ行動の私ですが、どういうめぐり合わせか、ご縁がなかったのでしょう。
その後の遠藤先生のご活躍から察するに、海外に指圧を広める活動や、もっと大きな意義ある活動に注力されていたため、ご本人から、直接教えを乞うことが難しそうだという判断もあったと思います。

その後の遠藤先生のご著書についても、もちろん全部繰り返し読んでいますが、現代において、これだけ指圧について示唆に富む知見を伝えてくれる方は他にいらっしゃらないと思います。
またおいおい、ひとつひとつ、感想をあげていきたいと思います。

増永静人先生との出会い

遠藤先生の著書の中で、ご自身が増永先生の最晩年の弟子であることは繰り返し語られています。
これと思った本の中で派生して語られるものは、すぐに読んでみる主義ですから、その流れで増永静人先生のご高著に触れました。
そして、打ちのめされました。

私がしたいことは、全てここにある。と直感しました。
こころだけでもない、からだだけでもない。
その境界に私はずっと興味がありました。

増永先生は、京都帝国大学文学部哲学科心理学専攻のご卒業です。
そして、父祖の業であるところの指圧界に入られたという異色の経歴です。
ですから、臨床心理学序説という著書があるくらい、心理ということに重きをおかれていた。

私は大学時代属していたゼミの指導教授が、京大の心理学出身の先生だったせいもあり、臨床心理学というものに元々とても興味があり、永らく大学院で学び直して、臨床心理士になりたいという想いを持ち続けていました。

主に能力的なことが理由で、その夢は果たせませんでしたが、京大の教育学部の聴講生として、何年か籍を置かせていただき、その気で勉強していた時期がありました。

私は、高校生の時に学校への不適応からくる不登校のおかげで、スクールカウンセラーの先生と出会い、その後も心身の不調の折には、そのカウンセラーの先生にカウンセリングを受け続けていました。
元々の心理学への興味というのはそこから来ているのですが、後に関節リウマチと診断され、主に身体の絶不調に見舞われているときに、カウンセリングだけでは、なにか足りない思いをしていました。

もちろん、カウンセラーの先生は素晴らしい先生で、もうそれ以上ないぐらい受容的な態度で、私の辛さ、悩みを受け止めていただき、それについては感謝してもしきれないのですが、言葉だけの限界というものも、感じていたのです。

そのときに、もっと直接的にクライアントにアプローチできる指圧というものにとても魅力を感じました。

残念ながら、増永先生は既に亡くなっていらしていて、直接教えを乞うことは永遠にかなわないけれども、もしかしたら、私がこれからの一生をかけてしたいことを、既に実践されていた方なのかもしれない。
そういう希望をもって、本を読み、その一年後に専門学校に入学したわけです。

専門学校に入れば、同じような嗜好の同好の士と会えて、同じようなテンションで増永先生の話ができると思って入学したのですが・・・。
続きは、このつぎに。


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