継続的な試行の成果
気づけばvinicaの投稿も、もう少しで300がみえてきた。さすがに太ってしまって、少々の危機感とともに通い始めたフィットネスは緊急事態で閉まってしまって、もうそろそろ控えたい気持ちもあるんだけど、美味しいものの見分け方や楽しみ方がわかってしまったせいで、やめどきが見つけられず、ちょっとどうしたものかと思っている。
国別の統計を取ると、数えてみたら、約三分の一がフランスだった。他はみてないけど、伊、米、日、豪、智、その他、みたいな感じで続く感じではないかと思う。
(と、書いてからほんとかなと思ってざっくり見てみたら、だいたい合ってた。思ってたよりかなりの仏偏重で、意外と言えば意外であった)
あと、これもふと思いついて、過去に経験したワインのvinica平均スコアを当てるゲームをやってみたところ、まぁまぁな精度で的中した。流通経路、価格、人気度、品質、あたりを加味すると、だいたい当たる。
星3つを超えるか超えないかは、ほぼほぼ当たるし、3.5を超えるかどうかもしかり。そのうえで、プラマイ0.1〜2には収まってる感じ。
得意不得意は若干あって、好みの薄旨系の方が命中精度が高い。
こうした検証をしてみると、味覚は主観ではなく、やはり、大数の法則である程度の客観値に収束する、という最近の仮説が立証できた気がする。
これらは別に、ワインスノッブを気取りたくてやっていることではない。表現にしろ商品にしろ、新たな価値創造を行うにあたってのもっとも基本的なセンス、あるいは社会観を養っているのだと思う。
つまり、良いプロダクトとそうでないプロダクトは、長期的には確実に選別される、ということだ。大衆の無意識は人類の叡智である、と、言い換えても良い。良いプロダクトはちゃんと見出されるし、内実が伴わないものは、なんだかんだでそれなりのポジションに収まっていく。
そういうことがわかるということは、自分のものづくりにおけるハードルの設定の仕方に確実に影響すると思うのである。
そういうことが体感としてわかってきたことは嬉しい限りなのだが、その代償に、わりと顕著に太りつつあるのには困っている。どうしたものか。どこかでスパッと切り上げるしかないのだろうか。
それよりは、無理なく代謝がバランスする日常ルーティンを模索したいところなのだが…
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