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トランス・リアリティ

 考えてみたら、メンタルのバランスを崩してサラリーマンを辞めたのが、もう3年前のことになる。随分と調子は戻ってきた感覚はあるのだけれども、リアリティの感じ方が、あの頃を境に全く変わってしまった。
 どこがどう変わったのかを、言葉で語るのは難しいのだけれども…不安や希望の抱き方の、磁極がひっくり返った感じ、とでも言おうか。
 ものすごく細かいことが妙に気になったり、ものすごく細かく気にしていたことが、どうでも良くなったり。

 勉強を重ねるなかで、哲学的な問いの究極形とは、部分と全体、連続と離散、無限と最小単位のめくるめく共存関係、というところに落ち着くのではないか、と、思うようになった。

 数学、物理学、工学、哲学、詩、音楽、絵画、映画、宗教、文学、法学、心理学…ありとあらゆる言葉や概念、営みは、ひとつの根っこから枝分かれしたものなのだと、そういう感覚が、非常にソリッドなものとして、いま、心の中にある。
 離散と連続の、入れ子的相転移は、そんなに小難しい形而上学ではなくて、ただ生きている実感として受け取ればいいのだと思う。そして、たまたま人間の相としてこうして思考し言葉を綴るこの日常というものが、かけがえのないような、どこにでもありふれているような、あやふやな気分のなかに、あっていいのだと、思えば良い。
 すべては、ただ、響き合っている。それだけ。
 そういうふうに、思うように、なってきている。

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