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永遠に叶わない願い
ここ最近、なんとはなしにセンチメンタルな気分に支配されていて、追憶、とか、喪失、とか、そういう言葉ばかりがうろうろしている。
人に語らってしまうとそんなに底の深い話ではない。「若い=愚か=未熟」という古今不変の理に従い、人類共通のお決まりルートをとぼとぼと歩いているだけのことである。
昔は、馬鹿な自分から早く脱皮したかった。
いまはどうだろう。なんだかんだで迂闊な性格に変わりはないが、さすがに色々な経験を経て、そういう自分の本質を織り込んで色んなことを組み立てるようにはなった。
それは、己の心を取り扱う技術、といっていいかもしれない。
逃げたくなったときに、逃げないための考え方。あるいは、逃げるべきときの逃げ方。
勢いでつい行動に走ったときの、空回りの防止法。やきもきしてしまいそうなときの、気の逸らし方。
一番認めたくない弱みを受け容れること。先入観で毛嫌いせずに、付き合ってみること。
思ったことがあっても、それをオブラートに包むでもなく、嘘もつかず、かつ場を無用に緊張させないこと。相手を悪だと決めつけず、虚心に話を聞くこと。
悪には意を決して立ち向かうこと。
打開策がどこにも見当たらない絶望感のなかでも、選択肢を捻り出すこと。
調子が悪いときのいなしかた。未来を待ち焦がれ過ぎず、一日一日を淡々と大事にすること。未来をおろそかにせず、ひとつひとつを積み上げること。
相手のためを思うこと。
そうしたあれやこれやの気づきの一個一個は小さいが、確かにいわゆる「大人の階段」ってやつだったのだろう。
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阿保で阿保でしょうがなかった頃のことを思うと、猛烈に時間を巻き戻したくなる。もう少しましな思春期を演じたかった。
でもなんだろう、一生懸命虚勢を張ろうとしていることが明け透けすぎて逆に真っ裸だった我武者羅さを、もう再び演じることができないことへの哀惜の念も、ある。
矛盾した願望を両手に抱えて、今日もまた、生きている。