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博士が愛した数式か、彼女の頭の中の消しゴムか。さらさらとこぼれる記憶。

認知症の母は老人ホームで生活しているが、病院には家族が連れていく。コロナ禍で最近は面会もできないので、数少ないリアルに会えるチャンス。
久しぶりに会った母は何で病院に行かないといけないのか不満タラタラだけど、お薬貰うためには診察が必要だと説明しながら、普段人と話していないので、できるだけ笑って楽しい話を。笑った母は可愛い。

大きい病院は待つ。予約してたって待つ。検査も待つ。帰りたい、帰ろうと何回も言われるが、そのたびに話をそらす。
あぁ、これ子どもが小さい時にぐずぐず言い出したら、
「あ!みて!すごい!」と気持ちを別の方向にもっていくのと同じだ。

大きい病院の先生はどうしてこんなにデリカシーがないのか。いやいや、言い過ぎました。勿論立派な方もとても優しい先生もたくさんおられる。毎日毎日死ぬほどでもない病人がきて、うちゃうちゃ言われたって、お医者さんの感覚では冷静に的確に正直に話すことが誠意なのかもしれない。
それに、それぞれの人の事情なんて知るかよ、なのはもっともでしょう。

施設という言葉も認知症という言葉も本人の前では今までごまかしてきたのでダイレクトに言われると「あ!それは!」とドキドキした。だって今の母は普通に会話ができてちゃんとつじつまのあう母なのだ。理解できるのだ。
ずっと施設ではなくマンションということで納得しているし、自分が認知症だということは絶対に知りたくないこと。まあ、それはお医者さんは知らないしね。仕方ない。あとで誤魔化すとして・・。
「肝性脳症で、肝硬変の末期で意識障害もいつなるかわからないし、そのまま亡くなる人も多いし、治らないしね。薬も予防も特にないし・・」は私は入院先で説明を受けてたし知ってるけど、本人の前で言うことなの?
がんの宣告をしてほしくないのに、勝手に本人に言うのと同じだよ?
しかも認知症って全くわからないと思っているのかな?ちゃんと、先生お願いしますって挨拶した母は普通の後期高齢者と変わりない。認知症の人は全く何もわからないもぬけの殻だと、高度な医学知識をお持ちの方なのに知らないのでしょうか。今でもじわじわ腹立ってくる。

話は変わるが、数年前に、私が検診で見つかった難治性の病気の検査で大学の付属病院にいったとき。予約にもかかわらず半日待って、診察室にはいったら若い医師がその座り方は背中に何個クッションがあるの?というくらいふんぞり返って、「こんなことくらいで来られたらうちの病院に来る人全員死んでるよ」で、診察が終わったのを思い出した。
大丈夫ならわざわざ会社休んで暗い気分で大学病院なんかに来ない!
検診で、かかりつけ医で、ちゃんとみてもらって!と紹介状もたされて来たんだよ。もし救急車で運ばれることがあってもこの病院だけは行かないでください!と叫ぶわ!!と思いながらみじめな気分で帰ってきたことが蘇ってきたわ。こんなお医者さんがいても大きな病院はつぶれない。小さい町医者ならすぐに患者は来なくなるんだから。

それはさておき。
母との久しぶりの会話も楽しく、施設に送り届けて私は遅れて会社へ。
あとは先生がかかりつけ医にお手紙を書いてくれて、処方されるのだろう。
とにかく疲れた。だけど貴重な半日だった。

で、いつものように夕食後にアレクサの「呼びかけ」で母のご機嫌伺い。
「今日は病院に行って疲れたね。」「はぁ?病院?」・・・まさか・・
「病院行ったよね、私が車椅子押して」「いってないわ」
ひええぇぇぇぇぇええぇ~~!!!まさか今日のこともう覚えてないの?
最速やん。
実家の近所の人の話や、3日前くらいに話したことは覚えてるのに。
認知症の記憶は、先に入った古いものから上書きで消えていく先入れ先出し方式ではなく、お風呂の熱いお湯に水を入れたってかき混ぜなかったら上の水だけあふれて下は熱いままのように、過去の地層が化石になってかたまっているのに、地表は地震ですぐに崩れてしまうように、昔の記憶はいつまでも覚えているのに、新しいものは新鮮なものほどあふれ出してこぼれていくのね・・。いやいや、認知症ってそんなもんだと本にも書いてあるし、いろいろなところから知識としてはあったけど、今日の今日すぎない?
早っっっ!!
あら~~~~。もう忘れたか~~。そうなのか・・・

まぁデリカシーのない言葉も母の心をえぐらなかったと思っておこう。


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