ネガティブ思考な人が幸せに生きるためのたった1つの習慣
昨日、久々に元同僚(女性)とZOOMで話しました。
そこで彼女が幼少期の話をしてくれたのですが、彼女は幼少期に父親から虐待を受けていたそう。
驚いたのはその「父親から虐待を受けていた」というエピソードをポジティブなものとしてわたしに話してくれたことでした。
「どんな出来事もそれをどうとらえるかは自分で決められる」
という言葉が印象的で、学びが多かったのでそのことについて書きます。
結論からお伝えすると、ネガティブ思考な人が幸せに生きるためのたった1つの習慣は
事実と解釈を意識的に分けて考えること
です。
もし友達が会社をクビになったという噂を聞いたら、あなたはどう思うでしょうか?
「かわいそう」
「あんないい人をクビにするなんてひどい会社だ」
「きっと落ち込んでいるだろうな」
いろんな感想があると思います。
ただ、ネガティブな感想を抱かれた方が多いのではないでしょうか。わたしもおそらく同じような感想を抱くでしょう。
このような感想を持つのは、わたしたちの頭の中に
「会社をクビになる」=「会社に必要とされなくなったかわいそうな人」
という思い込みがあるからです。
そこで提案したいのが、事実だけを追うことです。
今回の例だと、
会社をクビになった
というのが事実にあたります。
それ以上でもそれ以下でもありません。
「ただ会社をクビになった」それだけ。かわいそうもくそもない。
事実だけを追うコツは、冒頭に「ただ」をつけることです。
ただ、会社をクビになった
だからなんやねんという声が聞こえてきますが、このように事実だけを追うことで、物事をフラットにとらえることができます。
そしてもっとも大切なのは「事実をどうとらえるかは自分自身で選択できると知る」ことです。
自分で選べるというのがミソになります。
会社をクビになったという事実を「自分は会社に必要とされなくなった」というネガティブなエピソードと解釈することができます。
一方で、「あらためて自分が今後どのようなキャリアを歩みたいかを考えるきっかけになった」というポジティブなエピソードと解釈することもできますよね。
つまり、ある出来事をポジティブなものと解釈するか、ネガティブなものを解釈するかは自分で選べるということです。
冒頭の元同僚は
幼少期に父親から虐待(暴言)を受けていた
↓
対抗するために父親に言い返していた
↓
そのおかげで、他人に臆せずフィードバックできるようになった
↓
その能力が今の仕事に活きている
というように、幼少期に父親から虐待を受けていたエピソードが才能の訓練の場というポジティブなものとして語ってくれました。
わたしが伝えたいのは、全ての出来事をポジティブにとらえるべきということではありません。
全ての出来事について、それをどうとらえるかは自分で決められるということです。
毎日を幸せに生きるためには「自分の人生を自分でコントロールしている感覚」がもっとも大切だと思っています。
「事実はコントロールできないけれど、その事実をどうとらえるかは自分が決められる」
そう思うだけでわたしは少し気持ちが楽になりました。
今回のnoteが少しでもタメになったら、スキだけ押していってくれると嬉しいです!
最後まで読んでくれてありがとうございました!