おいしいサラダを食べよう
自分を大切にするってどういうことなのかわからない。
自分は怠惰な人間だから、頭が悪いのだから、人より考えて、下準備をしておかないことには人並みに生きていけないような気がして、
休日もずっと頭の隅で仕事のことを考えたり、生産的でいなければならないと焦ったりする。
今を思いっきり楽しんでなんかいたら、きっと後から痛い目にあうんじゃないかという不安にかられたりする。
なるべく楽しいことに心と身体を支配されないように、なにか不安なことに頭をもたげているほうが安心だと言わんばかりに。
そんな風に生きていると、なんとなく、「生きている」というよりは「ゆっくり死んでいる」ような感じがするなあと思った。
人生は長くて、あまりに長すぎて、私の手には負えない。
不幸ってわけじゃないけど、別に明日の朝目覚めなくたっていいや、と思う。
こういう考え方をしている最中は、全く自分が不幸まっしぐらでいることに気がつかない。
自分が楽しむことに罪悪感を覚えているって気がつかないで、一生懸命不幸でいてしまっている。
自分なんかが人生楽しんでどうする、努力したり、辛い思いをしない限りは、楽しんじゃいけないと思っている。
お気づきだとは思うが、そんなわけはない。
今に没頭して、今心地いいことに全力を注いでいいに決まっている。
人生は人それぞれの幸せの形があって、何を最優先にするかは自分で決めていい。つまり人生に勝ち負けなんてない。
あるとしたら本人の人生が幸せか不幸かだけである。
明日の心配は明日したっていい。
今は楽しもうと決めて、楽しんでいいに決まっている。
身体にいいことがしたいなと思って、サラダを食べたいと思うのだけど
サラダって毎日食べるには、冷たくて、味気なくてつまらない。
でも、サラダにおいしくて温かいおかずを乗っけると楽しいことに気がついた。
鮭のムニエルを乗っけたり、多めの油で焼いた白身カリカリの黄身が半熟の目玉焼きを乗っけたりして、レモンやバルサミコ酢で作ったおいしいドレッシングで食べるのだ。
身体にいいからと自分に言い聞かせて冷たくてつまらないサラダを食べ続けるのではなくて、
おいしくて温かいサラダを作ることはきっと、自分を大事にすることに繋がっている。
人生は楽しんでいいに決まってる。
仕事でいっぱいいっぱいになるのもいいけれど、
平日に楽しい予定を入れてそれを楽しみにして生きていいし、
明日は早起きしないといけない予定があっても、音楽を聴きにでかけたり、当てもなく夜の街をドライブをしたりしていい。
今日も眠りにつくギリギリまで楽しんでいいし、明日の楽しみのために目覚めていいのだ。