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なんてね。

 あなたがあなたである必要性を、考えたことはありますか。僕は、考えたことがあります。考えた上で、僕は、僕が僕である必要性が分かりません。別に、僕にしか出来ない使命だとか、僕にしか救えない命だとか、そんな大それたことじゃなくて良いんです。もしかしたら誰でも出来るかもしれないけど、あなたにやって欲しい。そう望まれるようなことが、ひとつでもあれば良いんです。こういう言い方をすれば、そんなもの、あるよって答えられるかもしれない。でもじゃあ考えてみて欲しい。そう言われるのはなんで?例えば、会社や学校など様々な組織の中でこなさなければいけない仕事。「あなたにやって欲しい」なんて言葉を使って、正義感の強い人間や承認欲求の強い人間に面倒な仕事を押し付ける。押し付けるなんて言い方は違うって思うのかもしれないですけど、僕にはいまいち「任せる」事と「押し付ける」ことの違いが分からない。あなたからしたら任せたつもりなのかもしれないけれど、相手はその期待をプレッシャーに感じて断れなかったのかもしれない。これは相手からしたら「押し付けられた」事と何の違いがあるんですか。まあそんな話は良いんです。話題が逸れました。そういった仕事。「あなたにこそやって欲しい」と言う人はどんな理由があって、そう言っているのでしょうか。あなたの性格ですか?人柄ですか?仕事内容は別に、だいたい誰にだって出来るでしょう。専門色の強い仕事ですら、それを「あなた」がやるべき確固たる理由はない。別の、そのスキルを持っている人にだって、同じ仕事が出来る。なんですか。仕事をしっかりやる?見えないところでもちゃんとやってる?仕事なんて大抵の人はちゃんとやるし、人にはそれぞれの拘りがあるし、みんな何かしら「しっかりやる」ところを選んでしっかりやってるんですよ。見えないところでもちゃんとやってるとか、知ってる時点で見えてるし。そうやって「あなた」を欲しているようなパフォーマンス(表立ってする言動のこと)をする人は、あなた自身ではなくて、あなたに付属している要素を欲しているに過ぎない。そう思いませんか。その組織に属すあなたの、その同じポジションに、全く別の人が立っていたら、その人が同じように求められるんです。求められるジャンルは違うのかもしれないけれど、とにかく、あなたがそこで求められるのは「あなた」だからじゃない。あなたがそこに属す人間だったからです。そう思いませんか?別の人間がそこに立っていたらその人が求められて、あなたは別に求められない。そんな状態で求められることを、あなたは「あなた」が求められていることだと思えますか。僕は思えません。「誰にだって出来るかもしれないけど、あなたにやって欲しい。」耳触りの良い言葉ですよね。あたかも僕自身が求められているような気になる。でもそこで言われる「あなた」は(この組織に所属していて、人並みに責任感があって、人並みに拘るところを拘って、私の感情に触れない、適当な人材)というたくさんの、ここに書ききれない程の、括弧のついた、あなたの要素なんです。その程度の言葉なんです。そんな薄っぺらいもので、僕は、僕が僕である必要性を説くことは出来ません。
 僕は唯一、誰にでも出来ないことがあるとするなら、それは創ることだと思います。創作は質を問わなければ誰にだって出来るかもしれない。だけどあなたが創るものは、あなたにしか創れない。僕が創るものも僕にしか創れない。ゼロからイチを産み出すことは、必ずオリジナル性がある。オリジナル性なんて言葉はないのかもしれないけど、とにかく固有性があると思うんです。確かに同じような感情を与えられるもの、同じような雰囲気のものは別の人でも創れるかもしれない。でも、あなたの持つ固有性はあなたにしか創れない。そう思いませんか?僕はそう思います。別に形に残らないものでも良いんです。音だったり目で見ることが出来たり、とにかく記憶に残れば良いんです。記録がなくても記憶にさえ残ってしまえば、それは確かに創り産み出されたことになるんです。と、僕は信じています。あなたはどうですか?
 とにかく、とにかくですよ、自分の要素ではなくて、自分自身を求められたければ、創作をすれば良いと思うんです。自分にしか創れない何かを創ってしまえば良いと思うんです。文章でも、絵でも、音楽でも。身体表現も創作の一種だと思います。なんだっていい。ゼロからイチを産み出せば良い。だから僕はこの文章を書いています。僕が僕としてここに存在していることを、あなたに知らせるために。僕がこういうことを考えて、こういう文章を書く人間だということを知ってもらって、そして僕を求めてもらうために。創作をして、僕が創りだしたものが求められるようになれば、それは僕しか創れないんだから、僕自身が求められていることになるんです。創作をする時だけは僕が僕である必要があるんです。創作を求められて初めて、存在を求められる、僕が僕として生きていく必要性のある存在になれるのです。だから僕は創作をするんです。

 って、僕は思ってたんです。今時分まで。そう信じていたんです。やっと抜け穴を見つけた、解決策を見つけた、そう思ってとてもとても嬉しかったんです。でも、僕の創作を求められるということは、それは文字通り「僕の創作」が求められているのであって、「僕」が求められているわけじゃない。そう思いませんか、僕はそう思えてきました。僕の創作は確かに僕しか創れないから、僕の創作が求めれられることは、要は間接的に僕が求められているということなのだけれど、でも、それは「僕」が必要とされることではない。間接的にでも求められるならそれで良いじゃんとは、僕は、思えない。そんなに大人じゃない。そんなに人生を諦めきれていない。僕が僕として、「その他大勢」ではなくて、僕として生きる人生を、僕は諦めたくない。皆さんはどうやって生きてるんですか。あなたがあなたである必要性のない世界で、あなたはどうして明日も変わらず生きていけるんですか。なんで諦められるんですか。諦めてないんですか。諦めてないならなんでなんともない振り出来るんですか。僕は、今にでも、胸がはち切れそうになるほどに、全ての瞬間が苦しいのに。
 なんて言ってみるけど、結局僕だってなんともない顔して生きているんだ。僕が僕である必要性のない世界を。

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