水樹 陽(みずき よう)の気分は毎日ログ。

1991年生まれ。日々考えたことを書いています。

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最近の記事

憧れ

同年代のつながりもいいけど、自分よりはるかに上の世代の人ががんばっていると、なんだか勇気がもらえる。 一般的に、歳をとると丸くなったり、体力が衰えたりするけど、深みを増していく人も一定数いる。 そういう姿を見ると、自分も将来あんなふうになりたいなと思う。 先が予測不可能な時代だけに、ロールモデルを見つけたみたいで、安心できるのかもしれない。 それと同時に、自分もだんだんとそっちの側になっていく。 深みを増していくことについて考え、やっていかなければならない。 人は、なんとなく

    • 本屋がどんどん減っているというニュースを聞く。 今どき、紙の本を読む時間もなかなかとれないし、本じゃなくても情報は得られるよね、という意見も分かる。 それでも、紙の本で読む「世界観」が楽しいことはある。 例えば、偉業を成した人や面白い人の伝記やエッセイ。 自分にはない視点を知ることができて、好奇心が湧いてくる。 「知らなかった」の状態が、知ることによって世界が広がる。 そういうのは、本が得意とする分野のような気がする。 本を読むのは、なにかを変えたいと思うことと同じかもしれな

      • 慣れには

        初めはやりたいと思っていたことも、月日が経つにつれ、だんだんとルーティンとなってくる。 これは致し方ないことで、ルーティンになったということは、上達や慣れたということで、喜ばしいことでもある。 だけど、慣れは刺激や楽しみを失わせ、ときには傲慢ささえ呼び込んでくる。 だから、上手くなったときほど、一挙手一投足に乱れがないか、自己満足に陥っていないか、見直す必要がある。 活躍し続ける人は、いつ何時を切り取っても、基本が見事にできている。 一瞬の活躍や流行とは遠いところで、美学を磨

        • 目の前の

          慣れれば、ある程度色々なことが予測できるようになってくる。 例えば、こうやったら上手くいくだろうなとか、それはダメだな、とか。 そうなると、些末なことが馬鹿馬鹿しく感じられるときもある。 そこで手を抜いてしまったら、よくないのだ。 目の前にあることを一生懸命やる。 ときには、損得さえ抜きにしてやってみる。 そうすると、不思議なことに自分にも自信が湧いてくる。 いつだって誰かに求められ、それに応えていくことが次につながることは多い。

          分かったつもり

          会話やコミュニケーションで、お互い「分かったつもり」になっていることは多い。 何かをするにしても、その分かったつもりでやっていて、意外とすんなりいってしまう。 だけど、些末な部分で噛み合わないことがあって、よくよく話してみるとそもそも前提が違っていた、とかはよくある。 そもそも、完全な相互理解なんて幻想で、どんなに事実を擦り合わせても、個人は事実を好きなように解釈する。 対話にできるのは、その誤解をできるだけ少なくすることだけで、その手間を惜しんだら、誤解が生まれる可能性は高

          いよいよ寒く感じる日が出てきた。本格的な冬の到来だ。 冬は、どうしたって外に出たくなくなる。 暖かくして、家にいたほうがいい。 だからこそ、楽しみを想定しておくべきだと思ったのだ。 美味しいものを食べるでも、楽しいことをやるでも、なんでもいい。 外に出る気になる、ポジティブな言い訳を自分で考えておく。 その頻度を他の季節よりもっと増やすのだ。 外でしか見つけられないことをもっと多く。今年もそうしてみる。

          裏に

          多分、大抵のことは「面倒臭い」のだ。 旅行に行くのも、そこに行くまでのこと、例えば予約するだとか、プランを考えるだとか、いろんなことがある。 楽しみにしていることに対して、手放しで「楽しい」なんてことはなかなかない。 お祝い事にしたって、それをやるまでには、準備やこころづもりがいる。 おめでとうの言葉の裏には、とんでもない大変さや道のりがある。 いや、そうしたものすべてひっくるめて、おめでとうはあるのだ。 楽しいや嬉しいの裏にあるものを想像してみる。 それが感動や充実をつくり

          考える

          まずは自分のコンディションを整えないことには、良いこともそうでないことも正常にジャッジできない。 最近、考えることを放棄して、忙しさでそれを上塗りしてしまっている気がする。 忙しいのはそれ自体大変だが、考えることはもっと労力がいる。 だから、面倒なことから逃げているともいえる。 肝心なことから目を逸らせば、一時は良くても、長期的にはそうでなくなる。 きちんと考える時間も体力も大切だ。

          季節

          週末に富士山を見たときには、冠雪がまったくなかった。 というより、白い部分がない富士山を見たのが初めてで、なんだかとても味気なく感じた。 それが、今朝初冠雪が見られたという。 関東も、今日は寒い気がする。これが平年並みなのだろうが、急に冬らしくなった感じがする。 紅葉もきちんと見られないままに、冬が訪れる。 冬は寂しく、厳しいイメージがあるが、それでも一年の振り返りや新しいスタートの始まりでもある。 季節の移ろいに自分も合わせて、前向きに変わっていくことを楽しみたい。

          視点

          思った以上に、何でもかんでも「自分の視点」になっているかもしれない。 相手の立場で考えよう、とはよく言われる。 分かるけど、それでさえ、なかなか心がけるのは難しい。 まして、動物の視点だったり、植物の視点なんかは、日頃なかなか考えない。 紅葉の季節で、緑の葉が赤黄色に変化するのを楽しむのは、人間の視点だ。 山の木々は、自分のライフサイクルに合わせて自然の摂理を行なっているだけ。 なんで人間はあんな呑気に紅葉狩りをしているのだろう、と不思議に思っているかもしれない。 ふと視点を

          秋晴れ

          週末は予報に反して、綺麗な秋晴れになった。 久しぶりに遠出をして、緑を見た。 空には雲一つなくて、抜けるような気持ちよさだった。 普段はああでもないこうでもないと色々考えやっているが、こうやって景色を眺めているときはそういうことを一切考えない。 あらためて、流れに任せて頭を空っぽにする大切さを感じた。 季節が移り変わるのを言い訳に、色々出かけてみよう。

          まだ暖かいが、少しずつ秋らしくなってきた。 自然の緑も、少し黄色みがかってきたりと、秋の訪れを感じさせる。 例年よりだいぶ遅い気もするが、そういう時ならではの楽しみもある。 秋の味覚や文化を楽しむ時間が長くなると思えば、それもまたいい。 どう受け取るかで、楽しめるかどうかも変わってくる。 目の前の移り変わりに目を向けて、味わってみたい。

          バランス

          やりたいことがいくつもある。 でも、時間は限られている。そして、体力も。 一方で、やらなくてはならないこともある。 やらなくてはいけないことと、やりたいこと。 そのバランスをどう取るか。 やりたいことの中にも、やらなくてはならないことはあるし、やらなくてはならないことの中にも、やっていて楽しいことはある。 一方に傾きすぎればうまくいかないので、そのバランスを日々乗りこなしている感じだ。 だけど、そういう悩みがあることこそ、ありがたいことなのだ。

          自分が

          自分に不安があるのを前提に、それでも誰かを励ます。 励ましているうちに、不思議と自分が励まされている。 そんなことが、ある。 自分が完璧になったら、なんてことはないわけで、お前が言うなと言われそうでも、それでも行動を起こしてみる。 そうしているうちに、周りの人も勇気付けられていく。 誰も、誰かに完璧なんかを求めていない。 まずは、自分が動くこと。気弱になりそうなときほど、そうだ。

          変化

          ある頃まで、人間は進化していて、世の中は良くなっていくんだと漠然と考えていた。 なにが「進化」で。なにが「良い」のかすら考えていなかったが、そう思い描いていたのだ。 だけど、近年いろいろなことを見聞きする度、実は人はそんなに変わっていないのではないかと思うようになった。 同じようなことは繰り返されるし、互いにいがみ合ったり、どうしようもないことで対立する。 それが悪いのではなくて、人間の性だから仕方ない、と思うようになったのだ。 長い目でみて、それが環境を破壊したり、取り返し

          必死に

          何かを必死にやっていれば、成果が欲しくなる。 かけた労力に対し、自分の期待以上のリターンが得られれば、それを続ける気持ちになる。 だけど、結構な割合で、成果が出ないことがほとんどだ。 それは、時間が足りていないのかもしれないし、努力の仕方が間違っているのかもしれない。 だからといって、簡単に答えが見つかるわけもない。 ある程度の時間、試行錯誤して、悔しい思いもしてやり続けるしかないのだ。 すぐに手に入る成果は、偶然か、長期的に見れば良くないものだ。 試行錯誤している時間が自分