【詩】 特別公演
小学生の頃
特別公演とかいって
壮年の女性歌手が僕の学校に訪れた
その人のことを僕は少しも知らなかったからいろんな先生に尋ねてみたが
どうやら、どの先生もその女性の正しい褒め方を知らなかったようで
朝礼で校長が語っていた言葉を器用に組み替えては
「要するに『すごい人』だよ。」と語った
普段は生徒に向けて
聖徳太子やら織田信長やら実在したかどうかも定かではない大昔の人について延々と語っている学年主任ですら、彼女のこととなると途端に口数が少なくなった
「実は先生もよく分からないんだ」と言わないのは
彼が教職員であることと関係しているのだろうか
母は「誰?」とたった一言で
僕の不信感を肯定してくれたのだが
その人は『すごい人』だから
その女性が歌い終わる度に僕は一生懸命拍手した。
けど
先生たちは彼女の歌声よりも生徒の無駄話を咎めるために耳を澄ましていた
拍手も歓声も歌声も彼らにとっては獲物が潜む草叢のようなものなので
僕らは常に鋭利な気配に晒されていた
公演後に配られるであろう『総合学習:感想シート』を埋めることが僕らに設けられた課題であるように
生徒を律するのがこの日先生に課せられたたった一つの使命だったのかもしれない
何度かの反復作業の後に公演は終了し
教室まで戻る退屈な行列の中で僕らはこの公演で感じたことを確かめ合った
普段テレビやカーステレオで聞いている音楽との相違点について妥当な言葉で説明できない以上、僕らは「感動しました」につながる枕詞を多く思いつく必要があった
しかし先生は「静かにしなさい」と
お気に入りの呪文を唱えて僕らの口を塞いだ
僕らにとって何が特別で
何が必要だったのか
それを教えてくれる人はどこにもおらず
感想シートの空白を十分に埋めることができないまま
終業チャイムの音を聞いた
その日の夕食の席
母に「どうだった?」と聞かれて初めて僕は
「何がすごいのかよく分からなかった」と打ち明けた
このたった一言の感想を言うのに4時間もかかってしまった僕の苦労を知ってか知らでか
母は「やっぱり」と笑っていた