違和感

小学4年生のある朝のホームルーム。
担任の若い男の先生が、目を腫らして入ってきた。普段の爽やかに笑う姿を知っている僕らは、その異様な光景に怯み、言葉を失った。隣のクラスから微かに聞こえる笑い声が急に訪れた静寂を引き立たせた。

「みなさん、席について下さい」

先生はそう呼びかけた。弱く震える声だったが、その声を遮るものは無かった。
誰も何も言わず、席につく。クラスのお調子者だって、涙の理由を聞けなかった。
全員が席についたのを確認すると、先生は一言、

「今朝、aが亡くなりました」

と言い、また涙を流した。クラスメイトがその言葉を理解し、困惑の表情を浮かべるまで少し間があったのを覚えている。その朝の記憶は、そこで途切れている。
ただ、一つ言えるのは、僕は亡くなった彼女の顔をハッキリと思い浮かべることが出来なかったということだ。

僕の学年は、2年生まで2クラスで、3年生から6年生まではずっと1クラスと、人数は多く無かった。だからこそ、お互いの事は知っているし、話した事の無い人などいなかった。
しかし、3年生になった頃には既に彼女は入院しており、僕と彼女との間で交流は殆ど無かった。入院している彼女に手紙を書く時も、千羽鶴を折る時も、少し困っていたのを覚えている。


その日の夜、僕は友人2人とその母親に連れられて葬儀屋に向かった。僕たちは夕飯を食べた後の時間帯に顔を合わせることの新鮮さに、少し浮かれていた。朝の空気が嘘のように、僕たちはゲームやマンガの話で盛り上がっていた。
式場に着くと、たくさんの大人の中に紛れて何人か同級生がいた。僕たちの姿を見つけると、安心したように、側に寄ってきて会話に混じった。そんな僕たちを見かねたのだろう。友人の親から「静かにしなさい」と、今まで何万回と受けてきた説教を、その日も受けた。それでも僕たちは笑い合っていた。

不謹慎だとか、そんな事は大人になった今だから言える。


翌日、授業を中断し、クラス全員で告別式へ向かった。
その子の親と顔を合わせる。
二人の顔は酷くやつれていて、痛々しかった。当然だ。一人娘を失ったのだから。

僕達は流石に2人を前にして、昨日のように振舞うことは無かった。
重々しい空気の中、式は始まった。

多くの大人達に倣って、僕たちは殊勝な顔つきで事を済ませていく。
彼女の棺桶に、花を添える時、僕は初めて彼女の顔をちゃんと見た。やはり、友人という感覚は無かった。同学年の、哀れな女の子の穏やかな寝顔。そんな印象だった。

彼女の生い立ちを振り返るビデオが流れた。
母親は声を上げて泣いていた。
僕は、悲しい、というよりも痛々しくて気の毒だった。そしてどこか他人事だった。他人事。悲しいニュースを見ているよな……。

僕は伏せていた顔を上げ、辺りを見回した。そこで目に映ったのは、僕にとって異様な光景だった。
僕以外の生徒も目を腫らして泣いていたのだ。それはおかしい事ではない。彼女と親しくしていた友人が涙を流すのは当然だから。
しかし、昨日、僕と一緒に笑いながら式に参列した彼等も号泣していたのだ。
僕は自分の事がとても不誠実だと思った。
涙を流せない自分が、とても気持ち悪かった。なぜ、僕はこんな冷静なのか?罪悪感で僕は顔を伏せた。涙で目を腫らした先生が僕のことを見た気がした。その視線がとても怖く、僕はメガネを外し泣いているフリをした。僕は酷く冷静だった。
居心地の悪さを掻き消そうと、僕も涙を流そうと努力する。彼らの感情に近づこうと。
しかし、溢れてくるのは悲しみや涙ではなく、『ナゼ?』という疑問だけである。
そして、その疑問はかえって僕を冷静にさせる。
結局、僕は涙を少しも流す事なく、式場を後にした。

それ以降、僕が自分の惨めさや、情けなさが原因で涙を流すたび、その時の光景が浮かぶ。
そして、殆ど聞いた事のない筈の彼女の声が聞こえる。
『貴方は、私が死んでも悲しくないの?冷たい人間ね。そのくせ、自分の事となるとすぐに泣くのね。』

そんな自分勝手な被害妄想は、十年以上経った今でも、時折僕を苦しめる。

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