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未来を紡ぐひみつきち #5
「あれは――」
遠目からでもわかる異種の容貌。レゼルが戸惑いの声をあげた。
他種族の邑に許可なく足を踏み入れるのは、暗黙の禁忌とされている。しかし弟は固まったまま――動かなかった。動けなかったのだろう。
そのあいだにもゲンランは臆することなく突進してきて、リディオの胴に、ぶつかるように飛びついた。受け止めきれず後ろに倒れそうになる。とっさに翼を広げて、バランスをとった。
「ゲンラン」
なぜここに、いったいなにが――同時に浮かんだ問いがせめぎ合って喉に詰まる。
顔を上げたゲンランは、あちこちに葉くずをつけて、土に汚れて――目に、涙をためていた。
「リディオ、リディオ。たいへんだ。一緒に来て」
「兄上、この方は」
隣にやってきたレゼルが目を白黒させている。中途半端に浮かせた両手は惑うように、リディオとゲンランそれぞれに向けられている。護守ノ徒の一員としては、早々に引きはがさなければならないけれど――。
「あれッ、リディオが二人いる」
今度はゲンランが目を白黒させた。
「弟だ、双子の。――小猪(ピグワ)族の嗣子」
「小猪族の――」
口の中で繰り返す弟に頷き返してすぐ、リディオはゲンランへと瞳を戻した。その眼差しで意図は伝わったようである、ゲンランはああそうだ大変なんだともう一度言ってから、
「一緒に来てリディオ。ヤンが」
ヤンが、灰狼(イーニィ)族に――。
まるで。
氷のつぶてが、鼓膜から脳に貫通したみたいだった。
あの日の光景がよみがえる。
灰狼族の嗣子、マグィの朱に濡れた爪――。
リディオは大きく翼を広げた。
「お待ちください兄上」
レゼルが慌てた様子で止めに入る。
聡明な弟ははたしてどこまで察したものか。翔ばせぬとばかりに腕を掴んだまま――けれど、複雑な表情で瞳を揺らしていた。
「兄上。嗣子が他種族と諍いを起こすなど決して許されぬことです。ましてや――」
腕を掴む力が強くなる。
「――その中に灰狼族の嗣子が居たのなら。もしも争って怪我をさせようものなら」
レゼルはそこで口を噤んで、目で訴えた。ゲンランを気に掛けているのだろう。――優しい男なのだ。
「わかってる」
リディオは答えた。弟の手に、己の手を添える。わずかに力が緩んだ。
「けど――……友人なんだ」
レゼルが大きく目をみはった。
リディオは渾身の力を背に込め飛翔した。あっというまに弟の姿が小さくなってゆく。胴に抱き着いていたゲンランがわあああと情けない悲鳴をあげて足をばたつかせたので、リディオは落ちぬよう、急いで両腕で抱えなおした。
兄上、と己を呼ぶ悲痛な声は、あっというまに風に掻き消えた。
「リディオ」
いいの、と言わんばかりにゲンランが不安そうにこちらを見上げる。
大丈夫だ、と目だけで言って、リディオは「どこだ」と短く問うた。
「ひみつきちだよ」
ゲンランが風に負けないように声を張る。
その語尾が、泣きそうに揺れている。
「ぼく――ぼく、知らなかったんだ。あの沢。沢のすぐ向こう側は、灰狼族の邑領なんだって」
「灰狼族の――」
――近いことは、知っていた。でも正確な境界までは、リディオも把握していなかった。
そもそも邑領といっても領内いっぱいに邑が拡がっているわけではない。
黒烏(スマル)族でいうのなら、護守ノ徒や普段から翔びまわっている自分は別として、多くの者が、踏み込んだことのない邑領がある。行動範囲がほとんど決まっているからであり、邑から出ることもないからだ。
自分たちの邑領に明確ば線が引けるのは護守ノ徒たちであり、他の邑領まで細かく把握しているのは――四ツ族共通の地理画(ちりえ)を持っている邑長である父だけ。リディオは、知らないうちに他の邑に翔びこまぬよう何度か――ごく大まかにだけれど――その地理画を、確認していた。
ヤンはわかっていた――らしい。ゲンランが言った。
「ぼくが行ったらヤンがいて、二人でしばらく話してたんだ。ヤン、そろそろ代替わりがあるって言ってた。ちょっと前にお父さんが倒れたんだって。だから最近、あんまり来れなかったんだって」
「……そう、か。それで?」
「それでね――」
ヤンが話を――婚姻を結び、子が生まれ、物心がついたらひみつきちに連れてこようと思ってる――自分は気軽に出歩けない身になるから妹弟にでも頼んで――そんな話をしているときに、沢の向こうに灰狼族が現れた。
マグィを含め、三人。皆若く立派な体格で、うち二人は頬や肩に、爪で抉ったような深い傷痕があったという。
態度や口調からいっても狙いは確実にぼくたちだった――ゲンランは、そう続けた。
なんで、とリディオが問う。
短い沈黙が返ってくる。
「……昨日だって、言ってた。そのうちの一人――頬傷のあるほう――が、リディオがあの沢に居るのを見かけたんだって。それでマグィを連れて確かめにきたんだって、言ってた。きみ、灰狼族のあいだで有名らしいよ。要注意人物だ――って」
――前回の合議でマグィと揉めたから、か。
普段のんびりもののゲンランがめずらしく早口で、また泣きそうになりながら続ける。
「二人してまくしたてるんだ、『こんなところに旗まで立てて自分たちを挑発してるのか』とか『なにかよからぬことでも企んでるんじゃないか』とか。マグィは黙って見てたけど――それが、ぼく、余計に恐くて。腰抜かしちゃったんだ。でもヤンは、……ヤンは、そんなわけないだろって。種族は違えど同じ森に棲む仲間なんだからって――」
挑発も、よからぬ企みなども、するはずがないだろう、と。
懸命に、主張した。けれど。
一緒にするな――俺らとお前らは同等じゃない――。
そう言って、灰狼族の二人は激高した。
「そしてら、ヤンも怒りだして」
ふざけるな、たしかに力の差はあるけどそれだけだ、同等も下等もない――。
すると、それまで黙っていたマグィが不意に口をひらいた。
『あいつ』の入れ知恵か――。
おまえたちは――森の摂理に逆らうか。
――教えてやろうか。
何故俺達が森の王者と呼ばれているかを。
「ほんとに、あっという間だった。気づいたら灰狼族の二人が目の前にいて。ぼくはヤンに引っ張られるまま逃げた。でもうまく走れなくて――」
ヤンは、茂みの中にゲンランを突き飛ばした。
そして、腰に佩いた――栗鼠(ワンリー)族特有の小さな短剣を握り締めて、追いかけてきた灰狼族のほうへ向かっていった。
「『逃げろ』って――言ってくれた」
ゲンランはとうとう泣き出した。
「逃げたくなかった。ぼく、ほんとは逃げたくなかったんだよリディオ。でも、ぼくが行っても足手まといになるだけだから――」
そこから先は、泣き声にまみれてほとんど聞き取れなかった。
ばさり。
背中に力が入りすぎて思ってた以上に上昇した。ゲンランが小さく悲鳴をあげたのが聞こえて、悪ィ、と短く、低く、リディオは謝る。
腹が、煮えくり返っていた。
この時期にしてはやけに冷たく感じる風が、頬を撫でては過ぎていく。空気が濡れている。雲が厚い。空が暗い。――雨が降る、そう思ったのとほとんど同時に、顔に小さな雫が当たった。静かな雨が、さあと森を撫でていく。
そろそろひみつきちが見えてこようかという時である。
ゲンランがあッと声をあげた。
―――――――――――――
*1話めはこちら🐺🐺🐺
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