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犯罪を続けたわたしが炎上騒動で感じる不安

先日話題になった、自称メンタリストの動画。

生活保護やホームレスの問題が大きく取り上げられていますが、発言の中に「犯罪者は社会にいるのは問題だし、皆が迷惑する。だから〇すんですよ。」というものがあります。これは、「一度犯罪を犯したら、はいおしまい。」と言われているようで、クレプトマニアになり万引きを繰り返していたわたしにとってはなかなかきついです。そのような「一発アウト」的な考え方が、全体を通して伝わってきます。

「一発アウト」はキツい

生活保護受給者やホームレスにはその状況から抜け出そうと頑張っている人もいますし、実際に、状況を改善できる人も大勢います。そうなってしまったら終わり、というようなものではありません。そもそも、生活受給者やホームレスになることは決してネガティブなことではないし、本人のせいであるとも限りません。

そういう意味では犯罪者は自業自得かもしれませんが、犯罪者になりたくてなったわけではない人もいます。また、故意に犯罪を犯したとしてもそれを反省し、立ち直ろうとする人もたくさんいます。わたし自身、クレプトマニアになり、万引きを繰り返しました。多くの人に支えられて今は盗らない生活を送れるようになりましたが、過去に犯罪を犯したことを反省し、それを行動につなげていかなければと思っています。故意に犯した犯罪であり、簡単に許されることではないとわかっているつもりです。でも、どんなに頑張っても過去は変えられないので、これからどうするか、そこに目を向けるしかないんです。開き直っていると言われるかもしれませんが、それしかできない。
そのような中で、「一発アウト」のようなことを言われると、なかなかきついです。

一時的な行動では伝わらない

ただ、謝罪や反省というような、一時的な行動だけではだめなんだということも痛感します。どんなに反省しても、謝罪の言葉だけではなかなか伝わらないと思います。謝罪には、程度の差こそあれ、その場を取り繕いたいという気持ちが含まれてしまいがちです。実際わたしもその場を取り繕うような謝罪を繰り返しました。このような一時的な謝罪をしただけだと、多くの場合で同じような失敗を繰り返します。最近では女子ボクシングを批判した方が謝罪をされましたが、ネガティブな評価が多いです。この方は以前にも同じようなことを起こしていて、その時も謝罪していました。しかし、同じような失態を繰り返しているのは謝罪や反省が一時的なものであり、継続性がないからだと思います。同じような失態を犯すことで、その反省が一時的であったことが露になり、余計に批判されてしまっているのではないかと思うのです。

世の中にはその場を取り繕うような謝罪や反省が多く存在するので、こころから反省していたとしても、疑いの目で見られます。謝罪したからすぐに許される、そんな簡単なことではないです。結局のところ、行動や態度で示す、そしてそれを継続し続けなければ本当に反省していると認めてもらうことはできないのではないかと感じます。

「一発アウト」ブーメランは必要か?

今回自称メンタリストは、謝罪動画の中で知識不足を反省し、今後勉強していくと発言していました。今回のことを受けて、行動しそれを続けていくと宣言したわけです。それに対しての反応は冷ややかなものが多いです。一時的な行動で評価を覆せるようなものではないので当然だとは思いますが、ちょっと行き過ぎているように感じます。

もちろん、彼の発言はひどいものです。それは変えられません。どんなに反省し行動したところで「そんなことしても許されない」という意見もあります。でもわたしはそうやって失敗したことを原動力にして行動していくことはありだと思いますし、これからやろうとしていることを始める前から「やってもムダ」、「ただのパフォーマンスだろう」などと、とやかく言うものではないと思います。

ここでいつまでも過去の発言で彼を否定し、これからやろうとしていることまでも否定するのは、それこそ彼を「一発アウト」にしてしまうことになるのではないでしょうか?それは批判が集中した彼の発言と同じような意味合いを持つものにつながっていくのではないでしょうか?

彼が今回の発言で「一発アウト」の危機にさらされていることを「ブーメランだ」と揶揄する声も聞かれますが、ブーメランにする必要があるのでしょうか?ここで彼を一発アウトにしてしまうことは、いじめっ子を責めることで新たないじめられっ子に仕立てる構図と同じだと感じます。被害者を擁護しているつもりが加害者となり、新たな被害者を生んでいるように思えてなりません。

彼の発言は擁護できるものではないですし、わたし自身も「犯罪者は殺せばいい」というような発言に痛みを感じました。でも、時間が経った今、わたしにとっては彼を一発アウトにしようとする世間の声の方がしんどいと感じます。顔を出さない、匿名のコメントで一発アウトの機運を高めるような流れの方が怖く、後ろめたい過去を持つ者として不安を感じます。彼の発言で傷ついた人を擁護するつもりが、むしろ逆効果になるまで叩いているのではないか、そんな風にも思えてしまいます。

行動し続けることで示すしかない

今回の件でも、彼が本当に反省しているのであれば、今後の行動が変わるはずです。今後どのような行動をとっていくのか、それによって本当に反省しているのかどうかを周囲が評価すればいいと思うのです。もしその行動に継続性がなければ、反省は一時的なパフォーマンスと言われるでしょう。そしてその時にアウトになるのは仕方ないことだと思います。もちろん、今回の発言は大いに問題がありますが、いつまでも叩き続けるのは違うし、今の段階でアウトにしてしまうのも違うのではないか、そう感じます。

わたしは万引きを繰り返したことを後悔していますが、自業自得です。過去は変えられません。変えられない過去を反省しているのなら、すぐに受け入れられなくても行動し続けるしかない。「こころを変えて、行動を変える。そしてそれを継続する」、それしかないなと。

この一連の騒動で、今の自分に必要なことを再認識しました。


~ 以下は2021年8月22日に加筆しました ~

アメリカでの差別発言への対応

この記事を引用して、「(自称メンタリストに対する状況を)「集団リンチ」と言っていた方は、これがグローバルスタンダードだということを知ってほしい。」とツイートしている人がいました。

それなりの立場の、かなりのフォロワーがいる方です。

無期限出演停止処分と「集団リンチ」が同じか?

SNSや匿名での投稿などの集団リンチで一発アウトに追い込むのがグローバルスタンダードだなんて、とんでもないです。

この差別発言をしたモリス氏がが受けたのは「無期限出演停止」です。「永久追放」ではありません。
無期限というのは、「今の段階では決められない、保留」という意味です。「終身刑」と「無期懲役」は違う、とりあえず懲役を受けることは決まったが期間は決まっていない、それと同じです。再教育を受けたうえでの行動によって、復帰の可能性があり、出演停止期間も変わってくるというものです。問題行動の直後に判断するのではなく、その後の行動で復帰の可否や時期を判断しようという処分であり、叩きまくって一発アウトにするというのとは全然違います。

更に、この処分は所属組織からのペナルティです。SNSなど一般大衆からの罵詈雑言含む非難や誹謗中傷を同じように考えることもおかしな話です。

自称メンタリストの発言は許されないものですが、この件によって「(匿名での発言による)SNSなどの集団リンチによって一発アウトにしてもよい」というような風潮が強化されるのは本当に怖いことだと思います。



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