未言の使命
「芸術の最高の効果は、新しい芸術家をつくることである」
人々を詩人へと高める真理を見出し続けた哲人ラルフ・ウォルド・エマソンが遺した珠玉の呼びかけだ。
芸術家とは、自分の内にある詩心と向き合い、詩心を表現し、詩心を多くの人へ贈り届けて伝えることができる人々のことだ。言い換えれば、自分と他人を繋ぐ人物たちであるし、さらに俯瞰した視点を以て論ずれば、世界から受け取った刺激により励起した自分の詩心、そのエネルギーを芸術として発顕させ、その芸術に触れた人の詩心を共鳴させる人々のことだ。
これを整理すると、芸術家とは世界と人間を繋ぐ、人類におけるナチュラル‐ヒューマン・インターフェイスという表現もできるのかもしれない。
だから、わたしはあらゆる芸術を、言葉と呼びたい。
芸術家とは、自然を、そして詩心を芸術へと翻訳する、翻訳家なのだ。
この翻訳というのが厄介でかつ最も面白味のある作業なのである。翻訳のセンシティブさは、本当にシビアなもので、少しでもそのセンスが狂ってしまうと、伝えたいことが伝わらない。このセンスとは、芸術家のセンスであり、受け取り手のセンスだ。
ここで、エマソンの「芸術の最高の効果は、新しい芸術家をつくることである」との呼びかけがひとつの側面を浮かばせる。受け取り手に、翻訳のセンスを、すなわち詩心を芽生えさせることで、受け取り手が芸術の面白味を面白いと思えるようにする。
つまり、受け取り手の楽しみを増やす。楽しい時間を増やすし、楽しめる方法を増やすし、楽しみそのものの質も深める。楽しい人生へと導く。芸術とは、そんな役割があるからこそ、人生を豊かにすると言われるのだろう。
さて、ここで、その芸術が文学であった時のことを、考えてほしい。要は、芸術家の翻訳のセンスが、詩歌や小説、エッセイなど文字表現に向いていた場合のことだ。
そこで翻訳家は、こんなことを思うことがある。
《わたしが体験して感動したこの世界の姿を、表現する言葉がない》
文芸家が扱う言語には、限りがある。それは、本人の知識不足というのもあるだろうが、今やネットにあらゆる辞書が閲覧できる時代だ、本人がやる気を出せば知識不足なんて、どうにか、どうとでも、解決できる。
けれども、言語としてそれがなかったら?
あるいは、例えば、日本人に伝えたいのに、日本語になくて、全く一般的でなくて伝わるはずもない外国語ではあるけれど、その言葉を使っても、日本人に伝えたいという目的が達成できないとしたら。
言葉の限界を目の当たりにして、翻訳を諦めてしまうだろうか。
なんて滑稽な態度だ、諦めなるなんて。
かつて、言語がなかったころの人々が、そんなふうに諦めていたら、わたしたちはもっともっと少ない言葉だけで日々の生活を送らなくてはならなくなる。
いつだって、誰かが、それを翻訳したんだ。そして、その翻訳のセンスが素晴らしく人々の共感を呼び、詩心を共鳴させたからこそ、それは日本語に加わってきたんだ。その行為が日本語を豊かにしたんだ。
例えば。春はあけぼの。夏は夜。秋は夕暮れ。冬はつとめて。
例えば。雪月花時最憶君。
そして。未だ言にあらず。
何を諦めることがあるというのか。
誰もやっていないから、だなんて、言い訳にもならない。
それは昔のことでしょうと訴えるなら、わたしが今、その道を開こう。
さぁ。今、この時に。この自ら生きる場所で。
何を諦めることがあろうか。
どれだけ言葉にできないような、始めての、深刻な、痛ましい、大切な、ちっぽけな、自分だけの、想いなのだというのなら。
それをこそ、言葉にするのだ。それでこそ、自分を言葉にできるのだから。
その想ひ
未だ言にあらざれば
ただきみのみが言葉となせる
未言は、その秘めた思いをこそ、未だ世界にないからこそ。
大地に眠る宝石を、岩を砕き、土を掘り、石をかき分けて取り出し。丁寧に、丁寧に、粗玉を研ぎ、磨き続けて、輝きを取り出して。
そんなふうに、未言が一つ、世界に産み落とされた時、その言語はまたひとつ豊かになる。
独りの想いから産まれたその言葉が、何千何万何億の人々の思いを表現する言葉となる。
未言は、ただわたしの産みだした未言を世界に認められるとか、多くの人に使われるなんてそんなみみっちいことを使命しているのではない。
未言を秘めた人が、それを未言として言葉に出していいのだと伝えるため、多くの人にその胸に秘めた未言を通して詩心を表現していいのだと、そう信じてもらうために、わたしは未言を産む。
あなたが言葉にできないからと黙って泣くのではなくて、あなたがあなたの本心を言葉にしてみせると、そうやって楽しい生き方をひとつ増やしてほしいから。
未言を産む精神をこそ、その信念こそ、生き様をこそ、伝えたい。
あなたに未言の芸術家となってほしいから、未言を産む。
だから、わたしの使命は未言にある。
未言の使命は、未言を産む人を増やすことにある。
その使命の山を登ることが、たまらなく楽しい。この楽しさに、多くの人を導きたい。
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