自分の目に見えるものなんて人の一部分でしかない
最近色々な方々と話したり、
相談を受けることも今もまだまだ多いですが、
話してる中で感じるのは、
人の情報などは知っておいて損することはないってこと。
その情報がどのように役立つのかは未来にわかることが多い。
みんながプラスの要素を話していても、
その裏側も必ずあるし、
口にしたことを守らない人がほとんどで、
守ってる人が少ないから「ほとんど」という言い方にはなるのだけど、
仕事でも、学生でもだけど、
スカウトの話の中で、
ネガティブな要素を話さず、
ポジティブなことばかりを並べて、
同じ話をしないといけないはずの人たちを騙すようなことを何度も何度も言ってる人っている。
その上司もその話が耳に入った時点で、
調べたり注意をして改善させずにいる場合も多い。
色んな要素を含んで選んだとしても、
実際は違うなんてことはあるあるなのだけれど、
それがもし自分の大切な人に起こったら、
自分が決めたこと!と言って我慢できるだろうか?と思う事が最近増えてきたと感じる。
自分は常々、
自分の中には色々な人格があって、
それが場面場面で違う顔を見せることなんてたくさんあると思っている。
人に見せる顔はそれぞれ違うこともあるだろうし、
素の自分を見せれる人なんて、
ほんの少しの人もいる。
自分のことは大抵のことはコントロールできるが、
他人はコントロールできない。
良かれと思ってしたことでも、
受け手が良いと感じるかはまた別のもの。
大切な人たちには、
なるべく悲しい思いはしないでほしいと思ってやることが、
必ずしも良いこととは限らない。
前はその人にマイナスが起こるのが嫌で伝える事をしていたが、
最近はその人たちが聞かない限り、
必要以上の話はしなくなった。
一度話をしてその後は本人たちが選ぶ事で、
あとであの時の話をそうすればよかった。と言われても、
選んだのは自己責任だから、何か問題が起こっても
してあげられることはするが、
基本的には自分から伝えることはしないようにしている。
自分の人生ではないから。
自分の子供達の人生も子供達のものなので、
手伝うことはするが、
基本は失敗も成功も自己責任だと思う。
題名にしましたが、
人から見える自分もほんの一部分でしかない。
だからこそ、その中にあるものは
本当に信頼できるし、裏切られても自分の責任だ!と思える人のために自分の命の時間は使いたいと思う。
人からの話は必ず何かしらに繋がる時がくるもので、それが良いものでも悪いものでも責任は自分が取るしかないから、覚悟も必要になると思う。