@那覇 ヤドカリおじさんに追いかけられ、ソーシャルディスタンスについて考えた話
特別な夏。家で過ごす涼しい夏も快適だが、海やプールに何の心配もなく行けるいつもの夏が恋しい。少しだけ。
先月仕事で那覇に短い間だが滞在した。空き時間を見つけて、浜辺でも散歩したいと思い、
調べると滞在先から歩いてそう遠くないところにビーチがあると分かった。
その名も「波の上ビーチ」。
日焼け止めを塗り、じわじわと汗をかきながら一人で歩く。
国際通りはがらんとして人気もなく、閑古鳥が鳴いていた。
いつもなら、カラフルで目移りしてしまうような土産物屋が立ち並び、
沖縄そばや郷土料理の店、ステーキハウスには地元の部活終わりの学生や大勢の観光客があふれていて、居るだけでワクワクする空間が、そこにはあったはずだ。
ほどなくしてビーチに到着した。
高速道路の高架下の海に、細長い浮具で遊泳地が区切られたこじんまりとした都会のビーチだった。
白くてさらさらとした砂浜に、いくつかのパラソル、水は透き通って少しエメラルドグリーンがかった色をしていた。
東京ではお目にかかれないようなきれいな海で満足した。
砂浜に寝そべる人、浅瀬で海水浴をするファミリーなど、過ごし方は様々で、私は一人だったが、写真を撮ったり歩いたり、海を眺めて自由に過ごしていた。
浜辺に落ちていたサンゴで砂に絵を書いて夢中になっていると、急に、
「どっから来たの?」
と声が聞こえた。
咄嗟に東京からと答えると、すぐ横に地元民らしき男性が一人で居てびっくりした。
マスクをしていてあまり見えなかったが、
率直に表現すると、
出川哲郎さんからチャーミングさを100%抜き取った感じの人だった。
地元だったらよく来るんですか、他に良いビーチはあるのかと聞くと、
「那覇にはここしかビーチはないんじゃないかな?」
彼はそう言って教えてくれた。
するとまたいきなり、
「あ!ナマコがいる!!」
と近くの岩陰に向かっていった。彼はすぐに捕まえて見せてくれた。
落ち着いた物腰なのに急に予測不可能な動きをするから妙な人だった。
私は初めてナマコを見たのでそのリアクションが面白かったのか、
「探せばハリセンボンとかヤドカリもいるよ。」
とおじさんは得意げだった。
「ハリセンボン?!ヤドカリ?!」
と若干テンションが上がって興味を示してしまったが、
あまり長居する気もなかったし、この見知らぬおじさんと海の生き物を捕まえて時を過ごすのも奇妙だったので、うやむやにしてそれ以上は関わらずにそーっとビーチを立ち去ることにした。
もし、
このおじさんが山田孝之くらいのナイスガイで、ここがワイキキビーチだったら迷わず付いていくところかもしれないが、
相手は不愛想な出川さんで、そもそも日本の小さなビーチなので、全くもってドリーミーさに欠ける。
無事にビーチを向けだして、ほっと一安心して周辺の神社などを散策しながら歩くこと10分ほど経ち、そろそろ帰ろうと帰路についていたら、
目の前で急に軽自動車が止まった。
まさか、と思ったがそのまさかが起きた。
運転席には見覚えのある顔が笑みを浮かべていた。
さすがにもう二度と会わないと思っていた顔が目の前に来たので、思いがけず、身体が固まりぎょっとした瞬間だった。
窓がゆっくりと空き、現れたのはさっきの出川さんだった!
突然のことで、逃げることも出来なかった。すると彼はおもむろに手を差し出し、
「ほら!ヤドカリ!」
と手のひらに乗せて見せてきた。思わず、うわぁ!と言って顔をしかめ、大きくあとずさりしてしまった。
…シンプルに怖い。
さっき別れてから時間も経っていたし、
通りすがりの私を頑張って探していたのかと思うと妙だったし、
おまけに通りすがりの私にヤドカリをみせてやろうと思って苦労して探していたのだとしたらもっと変だった。
何なんだこの人。
人との距離感の取り方がバグっている。
ソーシャルディスタンス!!!???
と内心思った。
この後時間があればと思ったんだけど、、、というような内容を彼は話したが、
私はもう東京に帰る時間が迫っているからと言うと、踵をかえして車は去っていった。
さすがにこの誘いは顔面が山田孝之でも、
車がポルシェカイエンでもお断りせざるを得ない。結構迷うかもしれないが。(笑)
今思うと、一人で海に行くのは危険だ。
ましてや一人で砂浜に佇んで、絵を書いている寂しそうな女は隙だらけだ。
実はあの時、砂浜に彼氏と自分の名前を書いて、それを写真に撮って送ってあげようと企んでいたのだが、
あれは今冷静に考えると、
『砂に書い~た名前消して~』という曲に無意識にインスパイアされていた。
でもあれは幸せな恋の曲ではない。
失恋した人がやる行為だ(笑)
長らく自粛生活ばかりしていると、
人との距離感の取り方がぎこちなくなってくる。
以前なら、通勤時には人混みを交わしながら平然と歩いていたが、
いまではそのスキルが低下して、
上手く避けることができなくなっていると気づいた。
一定の距離を取らなきゃと思うと上手くかわせない。
今回のことでも思うことがあった。
私自身久しぶりに見知らぬ土地に行ったため、人との距離の取り方というか、
”危なそうな人にはついていかない”、という自分なりの感覚が少し鈍ってきているように感じた。
判断はできたものの、一瞬でも山田孝之の妄想をしてしまった自分が恥ずかしい。。。。
感覚が鈍っていると、咄嗟に正しい判断ができず、危険なトラブルに巻き込まれることもあるかもしれない。
社会的距離を取ることが日常的になってから、初めましての人と知り合う機会が格段に減った。
飲み会や大勢が集まるパーティーに行かなくなったし、これからもそういった機会をわざわざ作ろうとも思わなくなった。
そうすると、”この人は何だか危なそう”、
”この人は大丈夫そう”、
などという感覚を使うことも少なくなり、
どんどん感覚が鈍ってくのだなと思う。
しかし何でも距離を取ることで、
リスクはゼロになるかもしれないが、
逆に考えれば素敵な出会いやその時にしかできない経験も逃してしまう可能性もあるのかなと思ったりもした。
少し前まで、旅先で見知らぬ人と話すのが好きだった自分がいたことすら忘れかけていた。
固定化された人間関係以外からふとした時に得られるインスピレーションだってある。
距離は取りつつも、少し前と同じようによく見て、観察して、感じ取って、その感覚を忘れないようにしたい。
社会的距離が取りざたされる今、少し考えさせられるエピソードでした。