感謝日記について
おはようございます☀
youdesignの悠です。
いつもありがとうございます。✨
私は今
一日の終わりに
「感謝日記」というものを書いているのですが
これがなかなか深いもの。
今日あった出来事
失敗したことでも、成功したことでも、もやっとしたことでも
何でもいい。
そんな出来事から
気づきを得て、学びに変えていく。
そして次の行動に繋げていく。
そうすると、
どんなできごとであっても
「ありがたい感謝する出来事」になるんです。
失敗したことも
そこから反省し、気づきを得て、次の行動を変える。
するとその「失敗」に対して感謝できるんです。
その経験のおかげで
「○○」できるようになった
と。
そんな感謝日記に関して
昨日、仲間の話から
大きな気づきをいただきました。
それは
私、無理やり感謝しようとしていたな、ということ。
感謝することは悪いことじゃない。
でも、その出来事の裏にある
「感情」「想い」「望み」を見ていなかったんです。
例えば
私は今こうして好きなことをして生活している。
それは夫が金銭的にも支えてくれているから。
それは感謝すべきこと。
だから夫のちょっとした言動に対して
何かざわっとすることや
モヤっとすることがあったとしても
それを
「でも稼いでくれているからありがたい」
という感謝に繋げようとしていたんです。
で・も
いや、そりゃ感謝してます
してますけども。←
その「モヤ」「ざわ」の奥にある
本当の自分の想いを見ていないことに気づいたのです。
その奥にはどんな感情があるのか?
どんな思いがあるのか?
どんな望みがあるのか?
感謝は、実はその先にあると。
そんなお話に、目からうろこ。
そうか。
私は
「あるもの」を見て「感謝」しようとしていたけれど
そのある意味では「感謝の蓋」で
自分の本当の感情や望みを見ないようにしていたのです。
ちょっとドロッとした感情があったとしても
「でも、こんな環境はありがたいよね」
「こうして好きなことしてるだけで幸せだよね」
「夫がいるからできるんだよね」
感謝しよう!!
そう思うのは悪いことではもちろんないけど
そうしてドロッとした感情を観ないことにして
感謝に無理やりすり替えていたのです。
これで、心から感謝できるだろうか…
上部だけの感謝になっていたのではないか…
そんなことに気づいたとき
もっと自分の「中」にフォーカスしてみようと思いました。
まだ感謝の境地には程遠いですが
まずは自分の中を見てみることをやってみようと思います✨
お読みいただきありがとうございました!
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