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小説『犬も歩けば時代を超える』(17話目)

17話 犬千代、カラオケと大震災

お母様は私を前世で本当の息子だったのを知る前から、ものすごい親ばか(チワワの私に対してだが)を炸裂している。
ドックフードを買ってきた時のパッケージには美しいチワワの写真が載っているが、画のチワワは毛並みも目や耳の大きさもスタイルも抜群である。
こういうチワワになら親ばかになってもいいだろう。
また、事故で亡くなってしまったが、幼馴染の姫が転生した犬は非常に賢かった。勇気もあった。
それも飼い主は親ばかを炸裂したっていいだろう。

さて、私は?
実はお手とか色々な芸ができない。
もちろん、飼い主が「バーン!」というと、銃で撃たれた真似をするような演技もできない。
まぁ、ノンビリと窓辺でお気に入りの座布団を敷いて日向ぼっこをしているのが、私のお気に入りの日常なのだ。
そして、お母様のそばに居られるだけで、それだけで本当に満足なのだ。

お母様のそばに居られれば満足・・・とは言ったものの、実は現世に来て非常に気に入ってしまったものがある。
それは「音楽」というものだ。

もちろん戦国の世にも音楽はあって、笛や太鼓、お母様が堪能だった琴などの楽器もあって、場内ではよく演奏されたものだった。
しかしだ、この現世で初めて聞いた音楽は、戦国の世では聴いたことの無いような滑らかであり、情緒豊かで心の中を流れるような音なのだ。

音の様子では弦楽器と思われるのだが、ピアノと呼ばれるものは琴のようなものとは全く違うのではないかと推測される。
このピアノというものは、簡易的なものは現代のお母様も弾いてくれたりするのだが、どうも電気で動くという(電子ピアノというらしい)のことで空気を伝わる響きが違う。
我が家の近くのピアノの先生の家から流れる音が、本当のピアノという楽器だと思われる。空気を伝わる音という波動のようなものが違う気がするのだ。犬に転生してから、なお音や音楽には敏感になった。

私はよく、本当のピアノの音が窓から聞こえてくるのを快く聞いている。
一目見たい見たいと思うのだが、それは後々にある想像もつかない天変地異が原因で思いがけず実現する。

我が家の親ばかナンバーワンであるお母様は、聞くだけでは済まされない。
自分でも簡易ピアノを弾いて私を楽しませてくれる。私も思わず歌ってしまうのだ。
この現代の歌のようには歌詞などは作れないし、和歌のような言葉も合わないので、私のオリジナル作詞である。
私は歌うときは必ず出窓という一段高くなったところに飛び乗って、気持ちよく歌う。

「まぁ!お前は歌がとっても上手ね!植物にも動物にも音楽を聞かせて育てると美味しくなるっていうけど、犬だって気持ちよく歌いたくなるのよね!」
とお母様は一人で感激している。

でも、動物で音楽を聞かせて育てて美味しくなるのは、牛や豚の家畜では・・・?
あまり一緒にして欲しくないような。
私は歌を歌うことが気持ちよくて、お母様にもどんどん聴いて欲しくて、一日に何回も歌うようになった。

さすがにこれにはお母様もついて来れず、そのうち子供のおもちゃのピアノのデモテープに演奏が変わってしまった。とはいえ、そんなに贅沢は言っていられない。デモテープのスイッチは私の犬の肉球では入れることができないので、どうしても人間の家族がいる時にしか歌えない。先に出窓の舞台へ飛び乗って催促する。

「お母様!一曲歌わせてください!」
するとお母様がスイッチを押してくれて、私は気持ちよく歌いだす。

「♪あ~お母様がいないと~とても寂しいの~♪もっともっとかまって~もっともっとそばにいて欲しい~の~♪」
お母様は親ばかなので、すぐに、
「まぁすごい!ゼットの前世はきっとイタリアのオペラ歌手ね!」
と言い出した。

お母様、それは違います。
前世の記憶が戻ったら、これはさぞかしガッカリするでしょう。
お母様はまた色々な曲をかけたりして、私が気に入る曲を探したりした。
歌っている様子をビデオにまで録画したり。
正直なところ、カメラやビデオは何だか苦手で、お母様はそのまま聴いてくれればそれでいいのだが。

テレビで動物番組のようなものを見ていると、お母様の様子が高揚してきて、

「うちの子のほうがすごいわ!あんな芸なんてどこでもいるじゃない。うちの子は歌を歌うわ!しかも芸じゃなくて、趣味で歌うのよ!命令じゃなくて、自分で歌うんだから!」
と親ばかが炸裂する。

残念なことに、私の歌う様子を撮影したビデオはテレビでは放送されなかった。
私が音痴だったせいもあるのか?

「本当はもっと歌いたいよね。平日はお母さんが仕事でいないから、朝と夜しか歌えないけど。」
とお母様は言っていた。

実はその後、私はデモテープのスイッチの入れ方のコツを知り、昼間もコッソリひとりでスイッチを入れて舞台に立っている。
近所の犬たちがそれに合唱のように参加してしまい、近所迷惑の一因になっていることはお母様には内緒である。

「まぁ、どこの犬が吠えっぱなしなのかしら?迷惑ねー。」
なんてご近所の会話にはお母様には入らないで欲しい・・・・。

本物の「ピアノ」という楽器には、なかなかお目にかかれなかった。
大体においてピアノが置かれているようなところには「ペット」という身分では入れないことが多いのだ。
音楽好きな私としては非常に残念である。

そんな私がある出来事をきっかけに一度だけ大きな本物のピアノを見る機会に遭遇する。
それは琴のように弦が張ってあり、しかし奏でるところは指で鍵盤というものを叩くように演奏する。
楽譜があったが、何かの暗号のようなものだった。
ここから、どうやってあの素晴らしいメロディーが流れるのかと不思議でならない。
とはいえ、こんな感想を述べられるのは今だからである。

そのピアノを見られた当時は非常事態であって、一つ一つの記憶はまるで写真のようにしか頭に残っていない。

あの冬も終わろうという日は、いつものように一日がスタートした。
ちょっと違ったところは、朝の散歩の時にお母様が空をあおぎ、

「ねぇ、今日の朝の空はすごく不思議。神様の悪戯なのかしら?」
と、言っていたことくらいだ。
私はその空を、不吉なものにしか見えなかったが。

その後はお母様も父親も子供たちもそれぞれが出勤登校していき、私はひとりで留守番をすることになった。
柔らかな早春の日差しがふりそそぎ、私はゆったりした一日をすごした。
戦国時代と違って、現世の私は剣術を指南されることもなく、時間はゆっくりと流れていく。
しかしそれもつかの間、小学校から帰宅した留美がバタバタと部屋に入ってきて、私を居間に連れて行き、一緒にコタツに入るとテレビをつけ始めた。手にはオヤツを持っている。

「あ、そうだ。学校から帰ったこと、お母さんにメールしないと!」
とお母様にメールを打ち始めた。

それより先に私にもオヤツをくれないかなぁ・・・と思っていると、何か遠くからザワザワとしたものが地から走ってくるのを感じた。
私は自分のオヤツ置き場へ取りに行こうとした足を止めた。

「ガタガタガタ・・・・」

小さな地震を感じた。それはだんだん迫ってきて、大きくなっていく。
留美が私目がけて走ってきた。

「ゼット!!」

ゼットは私の現世での犬名だ。
留美は私をガバっと抱っこすると、コタツの中に頭から滑り込んだ。
瞬間、この世のものとは思えないような揺れが家中を襲った。
家中がガタガタと鳴り、このまま世界が壊れてしまうのではと思うような状況だった。
確かなのは、私を抱いている留美の腕だけだ。

「揺れがおさまった。でもまたきっと揺れる。今のうちに外に出よう!家の中だと何が倒れてくるかわからない!」

留美は私に言うと、携帯電話と家の鍵、私のリードを持って家を出た。
家にちゃんと鍵をかけ、近くの周囲に何も無い畑のところに一時避難したあたりは、留美は冷静だった。
メールを送ったはずのお母様からは返事は来ない。
留美はどれくらい心細かっただろう。まだ小学生だ。

「家の電話は、もう停電で使えなかった。おそらくお母様の携帯も繋がらない。何回電話してもだめだった。」

近所のオジサンが留美の近くに来たが、周囲の様子を見ているだけのようで、留美を保護することなく行ってしまった。
誰も、畑の真ん中で立つ留美を気遣ってくれる人はいない。
近くのマンホールからは、水が噴出していて、マンホールの蓋を押し上げていた。
地震の影響なのだろうか?上を見ると、電信柱にくっついている電線が縄跳びのようにブルンブルン揺れている。
後で知ったが、余震というものが繰り返し来ていたそうだった。

留美が私を抱きしめて立ち尽くしていると、そこへ近所のピアノの先生がやってきた。

「あら、おうちに誰もいないの?大変なことになったわね。うちにいらっしゃい。お母さんには玄関に手紙を貼っておきましょう。」

留美は私のケア用品(粗相をした時のためのグッズ籠があるのだ)を持って、ピアノの先生の家へ身を寄せた。

その頃、お母様は余震でグラグラの中を車に乗って家を目指していた。
ラジオからは、東北地方で津波が発生しているということが繰り返し注意されている。
停電が大規模らしく、信号も全て消えていて、十字路までくると車は立ち往生してしまう。

そこで警察官でもない普通の近く住人か、通りがかりの人が交通整理をし始めた。
車は再び動き始める。踏切や十字路にかかる度に、止まったり動いたり。
家路を急ぐお母様は気がせいていた。
しかしお母様の働いている場所は遠くて、なかなか帰って来られないくらいは留美も私も知っていた。

ピアノの先生は私たちの緊張と恐怖を緩和しようと、色々話しかけてくれている。
「先生、うちのゼットは歌が好きなんです。かなり音痴なんだけど、歌うのが趣味なんです。」
と留美が話し始めた。

音痴は余計だ。が、途中で余震が起きると話は中断する。おさまると話が復活する。
「何の曲が好きなのかな?まさか、犬のおまわりさん?」

ここは笑う場面なのだろうが、大きな余震が再び襲ってきて、棚から楽譜が落ちてきた。
楽譜はそこら中に散らばっていて、横に線が何本も引いてあって、おたまじゃくしのようなものが書かれて、それが踊って見える。
きっとこれが音楽を伝える暗号なのだ。

「一曲しか歌わないんです。それも、モーツァルトの『きらきら星』。」
留美が言うと、ピアノの先生は「へぇ!」という顔をしてビックリしていた。

私の顔に近寄ってきて、
「あなた、モーツァルトがわかるの?すごいわ。この曲を楽しいって分かってくれるのね。」
先生は音楽の先生らしく、大きなピアノ(グランドピアノというらしい)の蓋をあけて、
「これがモーツァルトのキラキラ星。デモテープじゃなくて生演奏よ!」

先生、もしかして私が早朝からデモテープで歌っているのを知っているのだろうか?
小さな余震も来る中で、先生はピアノを弾き、私はきらきら星を歌った。
留美はそばで手拍子をしている。

日本中の人たちが予想もしていなかった地震だったという大きな地震で、震源が海とあって大津波が起き、あちこちに傷跡を残した災害になった。
でも、私にはグランドピアノの生演奏で手拍子付で歌ってしまったという不思議な嬉しい日になってしまった。
音楽というものは、いついかなる時も、時代を超えたいつの世も素晴らしいものなのだ。

お母様はその後、途中の道が崩れたり、線路の踏切が開かなかったりする中、驚くほど早く帰宅した。
その形相が必死すぎて、目に大きな涙をためていて、どれだけ必死で帰宅したのだろうと胸がいっぱいになった。

こういう時には、もちろん無事であることは確認必須なのだけれど、早く会って抱きしめたいものなのだ。
お母様は留美と私を力いっぱい抱きしめた。
その命を確かめるかのように。

その後、私のデモテープは被害なく生き残り、またカラオケをしている。
私の趣味とお母様の親バカは健在だ。

大地震のために、多くの人が亡くなったとテレビという箱の中から繰り返し聞こえる。
戦国の世から現世の犬千代までの全ての時を超えて、心から追悼の意を表したい。

(18話へ続く)

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