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小説『犬も歩けば時代を超える』(12話目
12話 犬千代、お母様と動物たち。
戦国時代に離れ離れになった私犬千代とお母様。
現代にてめでたく再会し、更にお互いの記憶が戻って親子の名乗りもあげることができた。
私は戦場で殺生したにも関わらず、仏様の慈悲によりこの世に犬として生まれ変わり、戦国時代にお母様の制止を振り切って戦に出たことを謝ることができたのだ。
しかし、目的を果たしてしまった以上、私の記憶もお母様も記憶も取り消され、お母様は普通の人間の女性として、私は普通の犬として余生を送るのだと・・・思っていた。
いつものように朝、お母様は私にリードをつけると散歩にでかけた。
起きたら無くなっていると思っていた記憶は、私の場合はそのままだ。お母様は、
「おはよう。」
とにっこり笑っただけで、記憶はどうなのかは不明だ。
何しろお母様は前世の記憶がなかった時からずっと、私に対しては人間に話しかけるように話していたから、私を愛犬「ゼット」として見ているか、前世の親子である「犬千代」として見ているのかは全く分からない。
と、突然お母様は散歩途中で振り向いて、
「なんですって!!」
と、本当に怒りだした。
私は尻尾がビリビリするほどビックリしてしまったが、どうも怒りの矛先は私ではないらしい。
しかし周囲は田畑が広がる郊外で、早朝の散歩をしているのは私たちだけだ。
が、お母様のピリピリした怒りを私も感じることができるから、気のせいではないようだ。
「ちょっと、誰がオバサンよ!」
お母様が叫んだ。
どうしたのだろう?お母様は気がふれてしまったのだろうか?それとも、何か物の怪みたいなものを早朝から見えているのだろうか?
お母様はそれほど、物の怪の類には縁がなさそうだが。
「オバサン、オバサンってうるさい!」
お母様の怒りは顔を真っ赤にして噴火寸前という感じだ。
これはただ事ではない。
私は周囲を見渡し、物音や臭いに意識を集中させた。
すると、通りをはさんだ向こうから、ヤギが一匹メェメェとうるさく鳴いている。
正直なところ、私は犬として転生したわりに、動物の言葉が得意ではない。
前世が人間だった者だと伝わりやすいのだが、どうやらあのヤギは違うようだ。
集中して言葉を訳してみると、
「オバサンオバサン、そこのオバサン。」
と言っている。
「オバサン、そこのオバサンだよ。ちょっと待ってよ!」
と続けざまに叫んでいるようだ。
その矛先はどうやらお母様らしい。
お母様はそれほど年をとっていないようだが、それにしても見ず知らずの女性にいきなり「オバサン」はないだろう。
お母様が激怒するのも無理はない。
ヤギも用件を何も言わずに、ただひたすらお母様を「オバサン」と呼び止めようとしているのもおかしい。
お母様は怒り沸騰したまま、私のリードをグイグイ引いてスタスタと家へ向かい始めた。
「もう!失礼しちゃうわよね!オバサンですってよ!この私をオバサンって言ったのよ。ねぇ犬千代。」
私はハッとした。お母様、今、私を「犬千代」と呼んだ。
「お母様、私を犬千代と呼んでくださいましたか。」
私がお母様に話しかけてみると、お母様は私を振り返り、
「そうよ、犬千代。何を言っているの、当たり前でしょう。お前は犬千代なのだから。」
とちょっと呆れたように言った。
「お互い、この世で再会できたけれど、そのまま記憶が残っていて良かったわ。
これからは、前世で一緒にいられなかった分、ずっとずっと一緒にいようね。」
とお母様は言ってくださった。
お母様の笑顔が朝日に眩しくて、私は嬉しすぎて思わず犬のように尻尾を振ってしまった。
「それより、お母様は先ほどのヤギの声をお分かりになったのですか?」
私が尋ねると、お母様は、
「ええ、分かったわよ。だってあんなに大声ではっきり言っていたじゃないの。しかも私をオバサン呼ばわりしたのよ!」
と言った。
私はお母様の前に出て、顔を見ながら、
「お母様、それは普通は分からないものです。人間は動物の言葉をそのままでは聞こえないものなのですよ。あれは大抵の人間ならば、ただヤギが鳴いているとしか見えないでしょう。」
と言った。お母様はキョトンとしている。
「あら、確かにそうだわ。私、なんで分かったのかしら?」
お母様は、まるで確かめようとするかのように、来た道を戻っていった。
そして、ヤギが見えるところまでくると、ヤギに何かを話しかけようとしたが、
「こちらからは、どうやって話しかけて良いのか分からないわね。」
と、寂しそうにしていた。
「なぜ、ヤギは私を呼びとめたのかしらね。あのヤギはいつも一匹で小さな小屋にいるから、寂しくなったのかしらね。」
お母様は私に言ったが、そこへヤギの小屋へと向かう人間が見えた。
ヤギはこちらをチラリと見ると、メェー!と一声鳴いた。
「犬千代、ヤギは昨日からご飯をもらってなかったようだよ。私に、おうちの方へご飯を上げて欲しいと言って欲しかったみたいだね。」
私にはヤギの言葉はよく分からなかったが、お母様にはよく分かっていたようだ。
その後、ヤギの姿が消えるまで、ヤギはお母様をオバサンとは呼ぶことはなかった。
お母様が前世の記憶だけでなく、現代に生きる動物の言葉も分かるようになっていることが生活の端々にみえるようになっていった。
犬として現世に生きている私と話すことによって目覚めた能力なのかもしれない。
とはいえ、そんなことを他の人に言っても信じてもらえないので言えるはずもなく、もっぱらお母様は私に話をするようになった。
「犬千代、あそこにカラスの親子がいるわ。」
ある日散歩途中でお母様が指をさした。
電柱の先には一羽のカラスがとまっていて、田畑には二羽のカラスが何かをついばんでいた。
「お母様、あの電柱のカラスはなぜ一緒に畑のものを食べないのですか?」
と私はお母様に聞いてみた。
すると、電柱の上で鳴いている一羽のカラスから少し離れながら、
「あれはお母さんカラスよ。畑の二羽のカラスは子供たち。
ほら、小さいでしょ。お母さんカラスが私たちを見つけて、来ないでくれと言っていたわよ。二羽の子供たちの安全を確保しているんだそうよ。」
と言った。
「お母様、カラスの言葉も分かるのですか?」
私がビックリして言うと、
「あら、そうね、普通分からないわね。
でも今、すごくよく分かったわ。お互い母親だから、分かりやすいのかもしれないわね。
他の人間が近づいたなら、あのカラスのお母さんはもっと威嚇していたでしょうね。それに子供たちをもう飛び立たせていたわ。」
と優しい笑顔で私に言った。
お母様はカラスの言葉も分かるのか。その動物の雰囲気もよく読めている。
「先日のカラスはオスで、私の時計を見つけて欲しそうにしていたわ。
あの口ばしで飛び掛られたらたまらないから、あなたを抱えて急いで帰ったのだけど、本当に生きた心地がしなかった。
私だけならともかく、小さなあなたはカラスの標的になったら大変ですからね。」
どこまでも、どこまでもお母様は母親なのだ。
私は「前世が人間」の犬ならば言葉が交わせるのだが、それはお母様も同じらしかった。
近所の新しい犬友で、甲斐犬の仲間の女の子で「メロンちゃん」という子がいた。
名前がメロンちゃんというわりには、体格は私よりずっと大きくて、まるで狼のような鋭い目をしている。
躾がとても良くて、前世ではどれほどの教養を受けていたのかと思うほどの気品がある。
最近は朝の散歩のたびに会うようになって、
「犬千代殿のお母様、おはようございます。ご機嫌よろしゅう。」
などと私のお母様に挨拶をする。ご丁寧にぺこりとお辞儀までする。
お母様も慌てて、
「あ、おはようございます。メロンちゃんもご機嫌よろしいようで。」
と、半分冷や汗をかきながら挨拶を返していたりする。
何しろメロンちゃんの飼い主はとてもフランクな感じなのに、メロンちゃんはガチガチの貴族っぽいのだ。
「メロン殿はいつの時代から転生されたのですか?」
と聞いてみるのだが、私は嫌われているのか答えてもらえない。
私のお母様には話したのか、
「メロンちゃんが今犬でなかったら、とても私など近寄れなかったでしょうね。光栄だわ。」
とお母様は感動したように言っていた。
家に帰ると父親に、
「メロンちゃんはとても礼儀正しいのよ。毎朝「おはようございます」ってお辞儀をするの。」
と言っていたが、お母様はきっと自分だけ言葉が分かっていることを忘れているんだろう。お父さんは首をかしげていた。
「まぁ、お母さんがおかしいのは今にはじまったことじゃなから。」
と、これまた父親も独り言のように話していた。
お母様が動物たちと話ができるようになって、それが良いのか悪いのかは分からない。
でも、きっとお母様は退屈もしないだろうし、寂しい気持ちにもならないのではないかと思うのだ。
会話をする相手が増えるというのは、それだけで生きることを豊かにするのではないかと、私は思うようになった。
(13話に続く)