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【年齢のうた】尾崎豊 その2●「十七歳の地図」のインスパイア元は中上健次の青春小説『十九歳の地図』

しかし、「すべての表現者は詩人でなければならない」か。これが105年前の言葉とは。

エゴン・シーレ展に行ってきたんです。開催は、今はもう終わってしまいましたが。
シーレと言えば、中学生の頃、ヒカシューの曲で知ったものでした。1stアルバムの中の「雨のミュージアム」の唄い出しで。

ポーズをまねて、って、巻上公一もデヴィッド・ボウイのようなことをしてたんでしょうか。
そう、ボウイもシーレからの影響を表明していました。ヨーロッパ3部作の頃とか、『アウトサイド』のジャケット画にその感覚が見られます。
(そういえば昔、ボウイのDVD『ベスト・オブ・ボウイ』がリリースされた際に、店頭でリスナーの方々に配布されるリーフレットにボウイについての原稿を書かせてもらったのを思い出しました。当時の東芝EMIの担当の方には感謝しています)

で、しっかりとは思い出せないけど……シーレの絵はだいぶ前にも何かの展示で見たんだよな。そこで、純粋さの中に倒錯したような性への感覚が心に残ったものです。

そのシーレ展の帰りにまたまたパソコンを物色したりしていました。新たな候補が突然現れたり、消えたり、また熟考したり。まるで婚活のように念入りに考え中の自分です。

では、尾崎の2回目です。
そういえば尾崎のお兄さんのことがニュースになってましたね。埼玉県の弁護士会長になられたと。

今回は「十七歳の地図」について。
これはデビューアルバムにして、そのタイトル曲の名前でもあります。

何のために生きてるのかという問いが潜む「十七歳の地図」


前回、1984年のいつだかに、大阪の深夜のテレビで尾崎のコンサートのCMを何度も観たことを書いたが、その時にバックで流れていたのが「十七歳の地図」だった。あの頃に住んでたのは三畳一間の風呂なしアパートで、テレビは白黒の、12インチ?だったか。そんな生活をしてたこともあった学生時代の自分である。

そのテレビから聴こえる「十七歳の地図」では、何のために生きてるのかわからなくなるよ、という歌詞がとくにまっすぐ響いた。寸分の迷いもなさそうにシャウトする尾崎の声。それは彼がまるで青春の炎を燃やしながら全力投球をしているかのように見えた。
当時そこにちょっと違和を感じた僕は、以降も尾崎を遠巻きに眺める距離感のままでいることになる。全力とか完全燃焼を全面に押し出すように見えた彼に乗り切れなかったからだ。心のどこかでは、そこまで一直線に走れるのがうらやましく思っていた気がする。
何のために生きてるのか……か。と、思った。

もっとも自分はストレートなロックンロールは大好きで、とくにブルース・スプリングスティーンは大のフェイバリットだった。そして尾崎の音楽も……この「十七歳の地図」も、アメリカン・ロックの流れを汲んだロックであることはわかっていた。

と、ここまで書いて思ったが、この頃の自分は、尾崎の歌にその心の闇を感じ取れていなかったのだろう。彼の歌はそのくらいポジティヴに聴こえた。スプリングスティーンは、それこそ街の、そして人間の闇を深く深く唄う人だった。

とにかく「十七歳の地図」の尾崎は、ブラウン管の中でまぶしく輝いてるように見えたものだった。白黒の小さいやつだったけど(セイジおじさん、アンテナを買ってくれてありがとう)。

尾崎の歌の向こう側に込められた、鬱屈した少年の青春像


ところで「十七歳の地図」は、デビューアルバムの制作中に、プロデューサーの須藤晃が尾崎に対して、このタイトルの歌を作るように要望したことから生まれている。
そのインスパイアの源は、中上健次の小説『十九歳の地図』だった。須藤氏には、この作品の主人公である19歳の少年のイメージがあったという。

制作当時の尾崎は17歳で、実年齢はこの中上作品の主人公の「ぼく」とは異なる。新聞配達にいそしむこの19歳は、予備校生でありながら学校には行かず、新聞配達先に嫌がらせの電話をかけるような、鬱屈した少年だった。ちなみに『十九歳の地図』は1979年に柳町光男監督によって映画化もされている。原作通り、鬱屈した少年の青春の物語だ。

それにしても、前回の「15の夜」のきっかけとなった石川啄木の短歌もだが、どうも須藤氏は晴れることのない10代の少年の心に思いを寄せていた節がある。

しかも『十九歳の地図』を書いた中上健次は、ほかにも18歳、19歳を描いた小説がたくさんあって、この年頃の若者の像をテーマにしていたことがある。

『中上健次集 一 岬、十九歳の地図、他十三篇』
(インスクリプト刊 2014年)の目次より

さらに。中上作品がこうして年齢をタイトルに掲げる背景には、大江健三郎の小説『セヴンティーン』からの影響が指摘されていると知って、驚いた。

同じく『中上健次集 一 岬、十九歳の地図、他十三篇』に掲載の
文芸評論家の高澤秀次氏による「解題」より、
中上の小説「十八歳」について

つい先月亡くなったこの大江という作家も戦後日本の、それも七転八倒する若者たちの心の闇を描いてきた人で……となると話が広がりすぎるので、このぐらいにしておくが(自分は文学の知識が深いわけでもないし)。ただ、このような要素が、やや遠めではあるけれども、尾崎の作品の背景にある事実は興味深い。

こんなふうに考えながら、思った。もしかしたら僕があの当時まっすぐでポジティヴだと感じた尾崎の歌のどこかに、須藤氏は何らかの闇を見つけていたのだろうか、と。
よく聴くと「十七歳の地図」は、疾走感が高く、前向きに響くロックンロールではあるものの、決してポジティヴなだけではない。主人公はセンチなため息をつき、うずうずした気持ちで踊り続けている。それだけでなく、少女や親についての描写には、繊細で優しい感情を見出すことができる。

そして、半分大人、と唄う尾崎。

デビュー時に18歳になっていた彼の中での「大人」の割合は、ここから増えるようなことはあっても、減るようなことはなかったのではないかと思う。おそらく。

(尾崎豊 その3 に続く)


ハングリータイガーのドレッシングです。
先月、横浜に行った時に買いました。
さすが評判の外食チェーンだけあって、濃厚なうまさ。
でもハングリータイガー、神奈川県だけに
食べたこともお店に行ったこともないんだよなー。
ここのハンバーグをいつか、きっと

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青木 優
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