【年齢のうた】BLANKEY JET CITY●青いイノセンスが息づく「15才」
うむ! たしかにThe Smileの新作は素晴らしい。
トム・ヨーク、ジョニー・グリーンウッド、トム・スキナーによるバンドの2nd。研ぎ澄まされたサウンド、練り込まれた楽曲。バンドが早くも高みに到達した感があります。
本アルバム『ウォール・オブ・アイズ』は極めて優れた作品だと思う。
で、これはおそらく、レディオヘッドに親しんできたファンにものすごくフィットするんじゃないかという気がします。それだけに……今作のありようが「アフター・レディオヘッド」という印象が強い。その見え方から外すことが難しいほど。
たとえばこのMV。僕はとても好きです。監督はポール・トーマス・アンダーソン。
なにしろ子供たちの素直なリアクションがものすごくいいし、そこでトム・ヨークが本当にうれしそうな笑顔を見せているのにも、ちょっと感動的。
で、こうした無邪気さや純粋さがあふれるような感覚って、レディオヘッドではとても表現できない領域じゃないかなと感じてしまった次第。裏を返せば、彼らはひとつのバンドとしてそのぐらい多くのことをやってきたわけで、それがこの何年も飽和状態になっていたのではないか、と。(もちろんこれは直接的な音楽性でなく、MVという場ではあるけども)
そして……トム・ヨークとジョニーは、昔から一緒にやってきたメンバーたちとのバンドという枷を外したから、今回の作品の領域にたどり着いたのではないかとも思うのです。
なので、ザ・スマイルの新作には、最高の作品ではあるけれど、その一方で苦い感覚も残るなあと感じています。
先日は、前回でいろいろ書いたビリー・ジョエルの東京ドーム公演がすごく良くて、いろいろ思い出したり振り返ったりで、もう感無量の夜でした。これが最後の日本公演と言われていますが、どうなんでしょう。とにかく、見れて良かった。以下は年始のNY公演。
ほかの近々の東京ドーム公演にも関心を惹かれてますが、そうそうは行けないですねー。洋楽のビッグネームはチケット代が極端に高価な上に、どれも即完するので、もはや「ちょっと観に行ってみようか」と思ってもムリ。これも音楽ファンの年齢層のレンジが広がったことと関係している気がします。まあエド・シーランやテイラー・スウィフトのファンは若そうだけど。
で、話をレディオヘッドに戻します。
このバンドは日本でドーム公演とはいかないまでも、かなり大規模な会場でライヴができるほどの人気は今でもあるはずです。自分が直近で彼らを見たのは2016年のサマーソニックの大トリ、ZOZOマリンスタジアムでした。
レディオヘッドが音楽シーンで異様な存在感を強烈に見せたのは、とくに90年代から2000年代にかけてでした。UKロックが好きでも「このバンドはよくわからん」という人もいたほど。そのぐらい特殊な存在でもあった。
ここ日本でも彼らの影響力は大きく、中でも『OK コンピューター』(97年)で彼らが起こした波は絶大でした。ダークな楽曲を、生身のバンドとコンピューターを駆使したサウンドとの融合によって表現する世界観はじつにエポックで、まさに異端のバンドとしてのオーラ満載。同作の日本盤では、当時のTHE YELLOW MONKEYの吉井和哉がライナーノーツにコメントを寄せていたほどです。
また、翌97年発表のBLANKEY JET CITYのアルバム『ロメオの心臓』では、音楽性の新たな方向を模索していたメンバーたちが隠さずに語るほど、『OK コンピューター』から着想を得た音作りが試みられていました。
ちなみに当時、BLANKEYのメンバーである照井利幸か中村達也のどちらか(たぶん照さん?)が、かつてロンドンでレコーディングをした際に、スタジオのアシスタント・エンジニアを務めていたのがナイジェル・ゴドリッチだったと教えてくれた記憶があります。ナイジェルはその後に、それこそ『OK コンピューター』をきっかけに世界的に広く知られるプロデューサーとなっていったわけですが、その前の時代の話ですね。
そして今回は、このBLANKEY JET CITYの曲について書きます。
あまりに透明な「15才」は家出少女を唄った歌
90年代の日本のロック・シーンを爆走したBLANKEY JET CITY。当時、僕は彼らを追いかけ、インタビューをしたり、たくさんの原稿を書いたりした。
そんなBLANKEYの年齢ソングとしては「15才」がすぐに思い当たる。
そう思って、最近この曲について検索したら、その結果の一番上のほうに僕が書いたネット記事が出てきた。
現在、ベンジーこと浅井健一が率いるTHE INTERCHANGE KILLSのツアーレポートである。時期は一昨年の2月。
以下、一部を抜粋。
さて、その現在のKILLSによるライブの中盤、「めっちゃくちゃ懐かしいやつ、やります」と言って演奏されたのは「15才」だった。BLANKEY JET CITY、1995年リリースのアルバム『SKUNK』に収録されたナンバーで、僕もあまりに久しぶりに生で聴いたので、つい感動してしまった。ワイルドな風貌で爆音を鳴らしたBLANKEYだが、あのバンドが衝撃的だったことのひとつには、そんなサウンドで歌われる言葉の世界があまりにナイーブで、どこまでも透き通っていたということがある。そして、これもそんな曲のひとつだ。ただ、先ほどまでの話になぞらえれば、ベンジーは3人でのロックンロールを追い求める一方、こうしたイマジネーションが拡がっていくようなセンシティブな世界を違う形で表現しようとして、別の音楽性を模索し始めた流れもあった。もっともこの夜の「15才」はKILLSの3人による叙情的な演奏によって、見事に表現されていた。
そう。BLANKEYの「15才」はあまりにも美しく、ロマンチックな歌なのである。ミディアムバラードで、ここではロック・バンドとしてのダイナミズムのかわりに、彼らの純度の高さが表されている。
この曲でのベンジーによるメロディはデヴィッド・ボウイを思わせる浮遊感をたたえており(これ以前の曲「悪いひとたち」にも言える)、高い声をまっすぐに出す唄い方には若さを感じる。いま50代になったベンジーもハイトーンはしっかり出るのだが、この95年当時、30才の彼の歌声にはまだ青さがあり、それによって歌に込められたイノセンスがそっと放たれていくかのようだ。
主人公は15才の女の子で、家出をして出会った彼とのストーリーが歌とともにくり広げられていく。描かれているのは、ギターケース、クリーム色のバス、夜の星、神様。ソーダ水の粒……楽しそうな日々。ビードロのジャケットを着た浮浪者、夏の光り、妖精の話、赤いリンゴ。それに、狂っている大人たちと、人はみんな無邪気な子供だったということ。
この曲では、15才という年齢についても思いをはせてしまう。心も身体も変わっていく年頃。好奇心旺盛で、でもまだ知らないことだらけの世の中。その微妙な年頃の危うさと、透き通った心模様……。
若さゆえのイノセンスが、鮮やかなイメージの数々とともに表現された名曲である。
「15才」と「Fifteen」
この「15才」は、先ほど引用した自分の記事でも書いているが、BLANKEYの5枚目のアルバム『SKUNK』に収録されている。冒頭で少しだけ触れた『ロメオの心臓』の3年前だ。
「15才」という曲、そして『SKUNK』というアルバム。これらを思う時にいつも連想してしまうのが、同じ95年の8月に代々木公園で行われた、BLANKEYのフリーライヴ「Are You Happy?」である。
この時の模様は映像になって残っているので、熱心なBLANKEYのファンなら観たことがあると思う。
僕はこの日、当時存在していた音楽雑誌『ロックンロールニューズメイカー』に掲載するライヴレポートの取材で、炎天下でのBLANKEYを観に行っていた。
野外のスタンディングのフリーライヴで、しかも血気盛んなオーディエンスが多数。その数は話によると1万人とか。しかも当時のこのバンドは解散説が浮かんでは消えをくり返していて、その上にしばらくの休止期間に入っていた彼らのパフォーマンスに飢えていたファンは全国に大勢いた。そんなオーディエンスが集結した真夏の午後だけに、現場はたびたび危機的な状況となる。そのためパフォーマンス自体が幾度かの中断を余儀なくされる、本当に大荒れのライヴとなった。先ほどの映像には、その時の緊張感までが収められている。
話のついでだが……この日、ステージのすぐ前で、ヒートアップし続ける観客をさばいていたスタッフのひとりに、数年後にベンジーのマネージャーになり、今もその立場を続けている堀さんがいた。また、ステージの最前線でカメラのシャッターを切っていたのは緒方秀美さんだ。ふたりとも、先ほどの映像のどこかに映っていると思う。
また、この当日は「15才」のデモバージョンである「Fifteen」のCDが無料で配布された。ベンジーがひとりで弾き語っているテイクで、バンド録音の「15才」を収録した『SKUNK』はまだリリース前の段階だった。
それもあって、この真夏のフリーライヴでの「15才」はいっそう思い出深い曲なのである。その演奏が始まった時、僕は流れる自分の汗を拭きながら、さっきまで荒れ狂っていた場の空気がピタリと静まり返ったのを覚えている。その静寂の中、青空の下にベンジーの高い声が響いていた。とても感動的だった。
なお、このデモバージョンの「Fifteen」は、バンドの解散後にリリースされた編集アルバム『RARE TRACKS』に収録されている。
それにしても、あの暑い暑い、炎天下のライヴがもう28年と半年も前のこととは……ウソみたいな話だ。
さて、「15才」に代表されるように、BLANKEYでのベンジーにはストレートでピュアな心情を唄った曲が多かった。それが時に激しさを伴ったり、すさまじいほどの透明性をまとったりすることに、僕は心を奪われていた。
そして、そんな彼の歌の世界は、BLANKEYののちのほかのバンドでも、またソロ名義でも、形を変えながら表現されている。
そんな中でも、昨年リリースのSHERBETSの楽曲「知らない道」には驚かされた。ここでベンジーは変わりゆく自分、老いていく自分を自覚するようなことを唄っているのだ。それが集約されているのが<何かをなくしたってゆうことか>というフレーズである。
しかし、そこで物語が終わらず、途中から奇跡的な展開というか発展を見せていくのが本当に最高だ。これが今のベンジーのとんでもないところだと思う。
2024年、1月。年始めでありながら激動のこの月もそろそろ終わりで、東京は冬の寒さの中にある。しかし今日は「15才」のおかげで、あの真夏の太陽の下のBLANKEYを思い出した。荒々しくも繊細な、あの3人のロックンロールが轟いた野外の空間を。
今なお再結成を求む声がやまないBLANKEYの3人。何年か前、ベンジーは自身の日記の中で、3人が集まってセッションのようなことをしたと明かしていた。僕はインタビューでその件について訊いたのだが、その後にコロナ禍があったことで、それが継続できないままでいる……という話を聞いたものだ。その取材が3年半ほど前のことで、実際に彼らがセッションをした時からはそろそろ5年が近づこうとしている。今はどうなっているだろうか。
BLANKEYの3人は、今もそれぞれに、音を鳴らし続けている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?