【オトナになることのうた】THE YELLOW MONKEY その2●飛べない鳥の歌「BURN」
2024年が終わろうとしています。
みなさま、本年もお世話になりました。読んでくださった方々もありがとうございます。
今年の青木は、視力が向上した年でした。まさかの~。
おかげさまで、よー見えるわ。さすがに限界あるにせよ。
しかし寒さへの耐性はやはり低下傾向にある。ぶるぶる。今日は電気毛布を洗濯しました。
そのほか、仕事に家事にと頑張っています。食材の買い物に行ったり、インターネット工事の連絡をしたり。
ではイエモンの2回目です。今回は導入が短い。寒いし。
<大人>に言及していた「Four Seasons」と「創生児」
前回は楽曲「楽園」(1996年11月リリース)を取り上げ、曲中の、大人になることの描写について書いた。
ただし吉井和哉、THE YELLOW MONKEYには、これ以前にも大人について言及した歌詞がある。
1995年11月発売、メジャー5作目のアルバム『FOUR SEASONS』。このタイトル曲「Four Seasons」である。
その前に。
カルト、かつ、マニアックな表現に向かっていたのが初期……正確には1994年までのTHE YELLOW MONKEYだった。曲によっては、どこまでが現実かわからない、寓話めいたイメージや、架空の、想像による世界が舞台になっているようなものも多かった。それらが、時には倒錯的な感情を、また別の時には悲劇的にロマンチックな愛を、さらにはこの世の不条理を描いていたりした。そして、そこでの心理や心情、また人物同士の関係性を表現するのが、主たる作風だった。
https://youtu.be/fXKQCBaN2BA?si=SLWVGx5oQMp44cnC
そんな段階に産み落とされたメジャー3作目の『jaguar hard pain 1944-1994』(1994年)は、このバンドのコアな部分を結集させたアルバムだった。ここで詳細は語らないが、『jaguar』は初期の彼らの代表作であり、また、日本のロック史に残る、壮絶にして美しいコンセプト・アルバムだと思う。
ところが1995年になってからの彼らは、言わばこのアングラ時代にひと区切りをつけ、新たな音楽性と表現に挑んでいった。サウンドもポップになり、音楽そのものの風通しが一気に良くなった。
その号砲となったのが、シングル「Love Communication」とアルバム『Smile』だった。
これに続き、同じ1995年の2枚目のアルバムとしてリリースされたのが『FOUR SEASONS』だった。
最初の曲である「Four Seasons」では、<まず僕は壊す>と過去の自分たちから歩み出していく思いを唄っている。より開かれた場所で音を鳴らしていく、という宣言だ。
この「Four Seasons」の後半に、<大人は危険な動物だし 場合によっては人も殺すぜ>というくだりがある。
胸騒ぎを覚えながら、新しい予感と時代に誘われるように、突き進んでいく心情。その中には不安もあって……先ほどのフレーズは、そんな流れで出てくる。
とはいえこれは、<大人>という書き方をしてはいるが、世の中の大人のすべてが危ないとか怖いとかいう描写ではない。もうちょっと広い意味を持つ、たとえば世間とか、この世の中とか、渡る世間には鬼だっている、とでも言おうか。そういったもののたとえのように感じる。
いずれにしても、当時の吉井のまっすぐな気持ちを唄った曲だ。
そもそも当アルバム『FOUR SEASONS』は、吉井がそうした自分の内面を素直に、率直に曲に昇華させて唄うようになっていった転換点の作品である。
より象徴的なのは、アルバム終盤の2曲だ。幼い頃に亡くなってしまった父親に唄いかける「Father」と、ギターのエマこと菊地英昭が作曲したメロディに乗せて吉井自身の衝動や欲求を綴った「空の青と本当の気持ち」である。
当時、『FOUR SEASONS』を聴いて、自分は驚いた記憶がある。あのグラム・ロッカーのロビンは、吉井和哉は、自分自身の内面を唄うことに振り切ったのか、と。
そして彼のこうした表現の変化が、翌1996年の「JAM」の誕生へとつながっていった。
バンドはこのあとに、前回取り上げた「楽園」へと至る。こうした流れを見ると、「楽園」の歌詞の中にあった<大人>という言い方は自分(たち)自身に向いていて、リアルの度合いが一気に強まっているのがわかる。
この頃、<大人>という表現はもうひとつの曲にもある。「楽園」も収めている次のアルバム『SICKS』(1997年1月リリース)で登場しているのだ。
その楽曲は「創生児」で、これも作曲したのはエマ。双子を意味する双生児とかけたタイトルで、吉井による歌詞では分裂症気味の世界が唄われている。
曲の中盤では、二極に分かれた心理を示す歌詞が音響の左右のチャンネルから叫ばれる。その中に<大人だ 子供さ>という箇所があるのだ。
これはあくまで両極を表現することが目的の歌詞なので、深い意味が託されているわけではないだろう。ただ、本アルバムにもある「楽園」で、<いつか僕らも大人になり老けていく>と唄われている事実を思うと、この時期……29歳から30歳になっていった吉井の内面には、子供であること、そこから大人になること、そういった変化や成長への意識が多少なりともあったのでは、という読みをしたくなる。
なお、アルバム『SICKS』の最後には、前作の「Father」に続いて吉井が肉親のことを唄った「人生の終わり(FOR GRANDMOTHER)」が置かれている。タイトルからわかるように、彼が祖母に向けた歌だ。2024年4月の東京ドーム公演でも、あまりにも印象深いところでパフォーマンスされている。
『SICKS』は、THE YELLOW MONKEYの最高傑作だと思う。
「BURN」に織り込まれた<大人>の悲哀
1997年7月、イエモンはシングル「BURN」をリリースする。
文句なしのロック・ナンバー。しかし歌詞を含めた楽曲そのものは、ダイレクトに盛り上がるだけのものではない。
序盤からギターの鳴りなどのムードはスパニッシュ的な匂い満載だが、そこに吉井の、こぶしがやや回ってるような粘っこい唄い方や心の内をさらけ出すような言葉によって、日本的な情緒が絡まっていく。その上に、曲の後半からのコーラスはローリング・ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」を彷彿とさせる。ブチ上がる歌でありながら、イメージは混沌としているのだ。
「BURN」のこうしたカオスティックな感覚は、MVにも貫かれている。メンバーが、それこそ日本的な古民家の周りで演奏していたり、エマが銃を構えていたりする。
このうらぶれた妖しさ、怖さは、昔の日本映画っぽいイメージがかぶる。たとえば横溝正史原作の『八つ墓村』とか、『犬神家の一族』とか。
高橋栄樹監督のアイディアには『帰ってきたウルトラマン』もあったようだ(夕陽ということは、グドンとツインテールの回とか? 下の動画だと1:03頃~)。
しかもその画に獣肉が重ねられたり……吉井の父親なのか? 旅芸人の映像が挟みこまれたり、おそらく子供の頃の吉井自身の写真まで混ざってくる(追記/メンバー全員の幼少期の写真を合成したものとのこと)。また、実験映画のようでもあるし、ホドロフスキー映画のような空気感も漂っている(下は『エル・トポ』のトレイラー/この監督の映像はショッキングなシーンもあるので、閲覧の際はご注意を)。
今あらためて見ても、「BURN」のMVはすごい。
さて、「BURN」の歌詞の後半には、<飛べない鳥はとり残されて/胸や背中は大人だけれど>というフレーズがある。
これは、内側に抱えている悲しい過去や思い出をBURN、燃やしてしまおう、という歌である。そんな中で、外見だけは<大人>……それなりに生きてきたはずだけど、でも<とり残され>てしまった<飛べない鳥>という表現が出てくるのだ。
ツラいことを乗り越えてここまで生きてきたのに、その記憶を燃やし尽くして、なんとか生きていこうとする思い。ちょっと泥臭くて、悲哀がにじむ歌。それも混沌としていながら、どこか日本的。
ここにはイエモンだからこそ到達した、日本のロック・バンドとしてのオリジナリティがある。
ちなみに、後年、吉井はこの曲を書いた際に、当時の夫婦喧嘩がきっかけだったと語っている(『吉井和哉自伝 失われた愛を求めて』より)。
前を向いて生きようとしているのに、悲しみ、せつなさのほうが先に立ってしまう。30歳になり、もう子供ではない、無邪気なばかりではいられなくなり、大人ゆえの生き方へと変わっていかなければならない段階になってきた。そうして唄ったのが、とり残されて、飛べもしない<鳥>の気持ち。
バンドは絶頂期にあり、何もかもが充実しているはずなのに、こうした悲哀を描いてしまう吉井和哉の持つ業の大きさ。それを最上級のロック・ナンバーへと昇華させ、大ヒットさせてしまう彼らのスケール。
すべてが破格である。
彼らは翌1998年3月、この「BURN」やその前に発表した「LOVE LOVE SHOW」、それに「球根」を収録したアルバム『PUNCH DRUNKARD』をリリースする。
(追記/高橋監督によると、「球根」のMV制作には命を削るほど力を入れたとのこと)
『PUNCH DRUNKARD』は、前作『SICKS』をよりディープに、ハードにしながら、そこに影の濃いロック感を含ませたような、これまた、とんでもない作品となった。
THE YELLOW MONKEYは無敵だった。無敵のはずだった。
しかし、このあとに、残酷な過酷な未来が待っていたのである。
<THE YELLOW MONKEY その3 に続く>