【年齢のうた】怒髪天 その2●五十にして天命を知る!『五十乃花』
さ~て、フジロックが近づいてきましたっ。
わが家は今年も行きます。開催まで1ヵ月を切り、チケットと宿、それに足も確保。例年に比べると変則的な1日参加ですが。
そういえば去年のフジロックでは永ちゃんを観ましたね。
で、僕はサマソニにも行くことになりそうです。夏フェスの季節がやって来ますな~。
しかし体調管理には気をつけないとですね。なにせ、熱中症にならないように意識しないといけない気候になってきましたから。
ただ、今年は春先から、暖かくなるペースが遅い気がしています。今日は大雨だったけど、暑くなかったし。
ともかく、油断は禁物。ご自愛ください。
ではでは、怒髪天の第2回です。
「らしさ」を失わない怒髪天
前回は駆け足で怒髪天のブレイクまでを追った。書いたあとに、関連する動画やリンクもあれこれ追加したので、彼らの歩みをより振り返りやすくなっていると思う。ぜひ再チェックをお願いしたい。
2014年の日本武道館公演に至るまでには東日本大震災も起こっていて、そこでこのバンドのあり方もかなり変わった印象がある。あの時を境に、実際に被災していない人たちにおいても、毎日を無事に生きること、楽しく日常を送ることの尊さが再確認されたように思うのだが。そうした中で怒髪天の歌が放つ切実さは、いっそう強くなったと僕は考えている。
怒髪天は、武道館の後も精力的に活動を続けている。なにしろリリースする作品の数が多かったし、ライヴやツアー、フェスやイベントへの出演もたくさんこなしていった。
彼らは、ライヴはバンドの身上としてやっているだろうから、大きめのハコでドカンとやっておしまい、なんてことはしない。むしろ武道館以降は、よりていねいに、より魂を込めて、各地を細かく廻るようになった感さえある。その姿に、自分はあらためてこのバンドらしさを見る気がした。おそらくそれには何かと大変なことも多いだろうが、怒髪天はそういう生き方をする人たちなのだ。
そんなバンドのメンバーたちが生まれたのは1960年代の後半。ということは、2010年代の半ばを過ぎると、次々と50代に入っていったわけだ。
そんな中で彼らは、やがて『五十乃花』というアルバムを出す。
「戦国武将なら死ぬような年齢」でリリースした『五十乃花』
怒髪天が『五十乃花』を出したのは、2016年3月のことだった。
その当時のインタビューが残っている。
(前略)
--50歳になる最初の年がこんなことになって。
恐ろしいね。もう来年の明けまでスケジュールが発表されていて。でもこうしてやることが増えていくのが楽しいし、50にして新しくチャレンジできるっていうのは幸せなことだよね。
--そうですね。そしてアルバム『五十乃花』がリリースされまして。ボーダレスで、いろんなジャンルがあって、どれを怒髪天だと言い切るのもなかなか難しいなと思ったんですけど、一方で「待ってました!」というようなところもあって。
他のところでは絶対にやらないだろうなっていう曲が多々あるよね。今回50歳になるということで、まあ、人生の節目ではあるから。戦国武将だったらもう死ぬような年だから。それでほら「五十にして天命を知る」。自分の天から与えられた使命を知るという。それは何かって言ったら怒髪天なんだよね。怒髪天をやるっていうことだから、俺たちの天命は。じゃあ、怒髪天をやるということはどういうことかと考えたときに、パンクバンドとして始まって、言いたいことを本当に躊躇なく言っていくというところに1回立ち返ろうかなと。それは『セイノワ』(シングル)から始まってるから。もう、いろんなものがいいかなって。何やっても完全にもう怒髪天になるだろうって。若い頃は何かに噛み付いたり、何かに物申したり。それは若さゆえの勢いだったりして責任感なかったけど、今はもう覚悟を決めて。これを言ったからにはそれによって何かしら起こるものにも向かっていくぞという決意だよね。責任持って暴言を吐くという(笑)。暴言じゃないけど(笑)。もう言いたいことを言う。最初の『天誅コア』からそうだけど、巨大なものにも噛み付くし、非常に隣の身近なものに噛み付く。それがやっぱりロックバンドのおもしろさかなと思ってね。
50歳が、戦国武将ならもう死ぬような年だという話を聞いて、僕はつい織田信長のことを思い浮かべた。自分は学生時代から歴史の成績があまり良くなかったが、信長が50歳になる前に亡くなったことは頭にある(この話をグループ魂のインタビューの席で、ネタとして話したことも)。
それはともかく、前回も書いたが、日頃の増子はとくに年齢がどうこうという話をする人ではない。ただ、いい意味で古風な人なので、年齢だとか、その道の先輩後輩の間柄とか、そういうことはすごく意識する性格ではないかと思う。
以前、ザ・コレクターズの加藤ひさしがAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」を友人知人に声をかけてカバーする企画をやった時に、そのMVの最後に増子がひとりで頭を下げるシーンがあった。僕はこれを見て、「あー増子さん、やっぱり律儀な人だなあ」と思ったものだ。
しかし10年経っているとはいえ、相当な再生回数になっていてビックリする。
このビデオの数年前に、増子がコレクターズのライヴの前説をやらされていたことも思い出した。
そして増子が、怒髪天が、50代になること、加齢していくことを、こうしてポジティヴに唄い飛ばしていく姿勢は、本当に素晴らしいことだと僕は感じる。もっと、前向きに。
思えばこれ以前の彼らには、不惑をタイトルにした曲もあった。その意味では一貫しているのだ。
さて、アルバム『五十乃花』といえば、先ほどのインタビューでも話に出ていた「セイノワ」である。これは名曲。
君のために死ねるとか誰も喜びやしない……この歌詞からは、古風な男である増子が、しかしちゃんと現代なりの価値観に寄り添いながら生きていることがわかる。昔は、他人のために命を投げ出すのを美徳とする思考があった。そんなのは違う! 愛のために生きろ! 彼はそう叫んでいるのだ。
2020年代にはコロナ禍もあった。そんな中でも怒髪天は生きることをメッセージとして発してくれていた。
そういえば先週のクアトロで、増子はステージを去る前に、こんなことを言っている。
「俺らは、死ぬ気でやるから! ……というのは違うな。言い直すわ。生きる気でやるから!」
そう。生きる気で、生きるのだ。
いくつになっても。
怒髪天のメッセージには、いつも背中を押されている。