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【年齢のうた】永井真理子●「23才」、それは葛藤が詰まったポップソング

日本シリーズが始まってますが~……その前に、今年のドラフト会議。
自分の出身高校から、初めてプロ野球選手が誕生しそうです。
東京ヤクルトスワローズの育成枠2位に指名された高野颯太選手!

まあ野球の強豪校なら珍しくない話でしょうけど、わが三刀屋高は普通の県立校で、僕が入学するちょっと前の1978年に一度だけ夏の甲子園に出てるくらい。それも当時、野球が有力の高校でもなかったんです。自分が大学に入って、先生に「おっ、野球の強い高校やね」と言われ、いえ、そんなでもないです、と思った記憶があるくらい。
で、高野選手は、チームが今年の夏の予選で早々に敗退したのにドラフト指名にかかったわけで、これはとんでもないこと。しかし、出雲市の子が、わざわざ三高に進学するとはなぁ……僕らの頃には考えられん。

ちなみに阪神の糸原健斗選手の育った大東町は、僕の母親の出身地です。そして引退しちゃったけど横浜DeNAと楽天にいた福山博之選手は大東高校の出です。これは母の母校。母母。
そして今回ついに三刀屋高から! 高野選手には頑張ってほしい!

さて、今回の【年齢のうた】も、またまたまたまた自分が初めて書く人です。
在籍された事務所(MSアーティスト)のスタッフとは身近な時期がありましたけど。永井真理子さんご本人と僕とは現在まで、まったく接点がないですね。

と、その前に。前回の西野カナで、女性の年齢ソングで連続ものは珍しいという話を書いたのですが、

それはこの日本では、ということです。海外では、アデルがいました。
彼女、これまでのオリジナルアルバムで、いずれもそのリリース時の年齢を掲げてるんです。

アデルのことは、いつかあらためて書くかもしれないです。

苦境にいた彼女が生み落とした「23才」


日本の女性アーティストによる年齢ソングの有名どころには、この【年齢のうた】でいくつか触れてきた。南沙織とか、その前の時代の藤圭子とか。

そして前回の西野カナを書き終わって、ふと思い出したのが、永井真理子だった。

永井真理子は一時期、ほんとに時代を代表するアーティストと言えるほどの人気があった。とくに80年代後半から90年代にかけてのヒット作連発とメディア露出は、すごいものだった。

ポップな歌を唄う、ショートカットの女の子。元気いっぱい、健康的なイメージのアーティスト。おそらく当時を知る音楽ファンの多くは、そんなふうに記憶していることだろう。

ただ、僕にとっては近い人ではなかったので、申し訳ないが、あまり引っかからないまま今まで来た。それが今回、女性が唄った年齢ソングという点で、脳裏をよぎったのである。

「23才」というタイトルの曲は、そうして記憶しているぐらい、鮮烈だった。

彼女がまさにこの年齢の時に書いた曲で、アップテンポではあるもののマイナー調であり、歌ではハッピーなことをまるで唄ってない。綴られているのは、10才、17才、そして23才の時点での自分の気持ち。どれもこれも悩み、苦しみ、迷っている。
当時の永井は、こんなにも葛藤の最中にいたのか?

本人がどこかでこの曲について話していないか調べてみたら、次の記事が見つかった。そう、永井は、今も音楽活動を続けている。

最初のターニングポイントは、ずばり23歳のとき。ファンの方ならビビッとくるかもしれませんね、このフレーズ(笑)。私はデビューしてから早い段階でヒット曲を得ることができたんですけど、2〜3年の間はとにかく走り抜けたという感じです。
 あまりの過密スケジュールに、自分がドコにいるのか? 次に何をするのかもわからないくらい忙しかった。そんな目まぐるしい毎日のなかで、本当に自分がやりたいことが描けているのか?という葛藤が始まります。自分の思いと、流される現実とのギャップに苦しんだ時期でした。そのときの気持ちを込めた曲が、まさに『23才』なんです。歌詞にある『23才の忙しい日々、何かが足りないんだね。』とは、まさに実体験から生まれたものです。


なるほど。当時の永井のイメージは先ほど書いた通り、ポジティヴ一辺倒のようなものだったのだが。やはり現実には、かなりヘヴィな状況にいたようだ。
ただ、これは大成功したアーティストにとっては起こりがちなことだと言える。ヒットする、大衆に受け入れられるというのは、その人の一部分の魅力や強烈な個性がヘンに膨張したまま届くような大多数に届くということ。世の中の人はそんな曲をくり返し聴くから、そのイメージがどんどん刷り込まれて、「あの人はこういう人」と、やや勝手に、一方的に認識されてしまう。そのギャップに苦しむアーティストは(有名人も?)数多い。

23才、1990年の永井真理子は、そうしたところで<何かが足りないんだね>と苦しみ、自分の進む方向について悩んでいた。

23才当時の心の叫びを、大人になって唄うこと


さらに調べてみたら、この動画に行きついた。昨2022年に応えたインタビューである。


彼女は大ヒットを連発する最中、スタッフに、自分は長く続けていきたい、流行りみたいなものになったらこのままじゃ終わっちゃうから、と訴える。しかし、休ませてもらえなかったとのこと。

「23才」という歌を歌ってる頃ですね。その時に、もうほんとに自分の中で苦しくなっちゃって、あの曲の詞を書いたんですよ。とにかくもう、忙しい日々の中で自分をなくしていくんじゃないかって。何か違うものに出会っていきたいっていうような。そうなんですよ。(「23才」は)リアルなストーリーなんですよね。

言うなれば、あの曲は心の叫びだったのだろう。
ただ、僕も含め、世間はそんなことさえ感ずかないもので、かたや彼女に注目する人は、もっともっと!と求めていく。やはり成功したアーティストあるある、だ。
それはさぞ過酷なものだと思う。もっとも、こればっかりは体験しないと理解できないところがあるが……われわれには想像力というものがある。
それを駆使して思ってみると。そりゃあ大変だろうな、と思う。何のためにこれをやってきたの? 今、何をやろうとしている? これでいいのか? と考え込んでしまう気がする。

音楽活動を続けながら、永井は大人の年齢になっていた。この数年はセルフカバーのアルバムを出しているようで、そのシリーズの第2弾(2021年)の中には「23才」も選ばれていた。

23才の時に唄いはじめたこの曲を、30年以上経ってから、あらためてセルフカバーすること。若い時分のリアルな悩み、苦しみ、迷い……当時は楽曲として吐き出した、そうした葛藤、感情。
そして大人の年齢になってから、またそれに真っ向から向き合うこと。
おそらく彼女はたくさん、何度も、昔のことを思い出し、かみしめながら唄っているのではと思う。そこでは、曲に込めた往時の苦みやせつなさを反芻する感覚もあるのではないだろうか。
言わば、古キズ。そのキズあとを、もう一度触るような感覚。それは決して楽しいようなものではないはずだ。

ただ、仮にそうであったとしても……そのどこかには、ほんの少しでも、幸せな何かもあるのではと、僕は考える。こう書くと、本人ではない、当事者から遠い人間による、無責任な感想だと思われるだろうか。

僕がそう思う理由は……その苦みだって、本人が唄い続けているから、そうして反芻できるもののはずだからだ。アーティスト自身が活動を継続しているからこそ、大人になった感覚で、そのキズあとをもう一度触れる。時が経って、自分自身で確かめ直す行為ができる。

裏を返せば……不慮の何かで、不幸な事態で、あるいはモチベーションの問題で。そういうことすらできなくなってしまうアーティストも数多い。もう二度と生でその声を聴けなくなった唄い手は、たくさんいる。
これは昨今、たくさんのミュージシャンが亡くなっているから、自分がよけいに思っていることのような気がする。

大人の年齢になった永井真理子は、元気そうだ。
元気印だった彼女が残した、まぶしい青春の中の一片の影、「23才」。
その苦みやせつなさすら、今聴くと、まぶしく感じる。

カミさんが買ってきてくれたなごにゃん。
ほど良い甘さで、おいしかった

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青木 優
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