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格差を飲み込んだコアントローの話。

今から11年前。
社会人2年目、24歳だった僕に初めて海外出張のチャンスが回ってきた。

行き先は中国の広州。今のような大都市になる前の深センで、ノベルティーの検品をする仕事だった。

「初の海外出張ならビジネスクラス乗ってみるか?」

そんな上司の粋な計らいで、僕は初めてビジネスクラスに乗ることになった。

たかが1泊2日の出張に心を躍らせて、当時の彼女に散々自慢をしたことを覚えている。

出張当日、きっちり3時間前に空港に着きターミナルで時間を潰した。
ビジネスクラスに乗るならラウンジで待てるのに、当時の僕はラウンジの存在すら知らなかった。

搭乗時間になり優先搭乗で意気揚々と乗り込み、ビジネスクラスの座席の広さや、ヘッドフォン仕様にいちいち感激していた。

離陸してしばらくすると、いよいよ機内食の時間がやってきた。
シート前のポケットに入ったメニューには食材の産地や料理人の名前が記されており、あきらかにエコノミークラスのそれとは違う雰囲気。
さらにチキン or ビーフではなく、選択肢は「和食」と「洋食」だった。

離陸してからメニューを一言一句読み込んでいた僕は和食を選ぶと決めていた。JALが世界のビジネスパーソンに出す和食とはどんなものか、期待に胸を膨らませ、CAさんにオーダーをした。

十数分後。

着々と機内食の準備が進んでいることがうかがい知れる中、僕の元に見るからにベテランと思われる女性のCAさんがやって来てこう言った。

「大変申し訳ございません。本日和食を希望されるお客様が多くて、洋食に変えていただけませんか?」

「大丈夫ですよ」

そう返事をするまでの1〜2秒間に僕の脳みそはフル回転をした。

なんで僕なんだろう
なんで僕なんだろう
なんで僕なんだろう

隣の席に座る恰幅のいいおじさんも和食を頼んでた。
前の席でくつろぐ淑女も和食を頼んでた。

席順じゃない。

じゃあなんだ。性別か?年齢か?

「なんで僕なんですか?」と聞けば、彼女はなんて答えるだろう。

きっと困った顔をするだろう。

それを見た隣のおじさんが「じゃあ私が洋食に変えますよ」なんて言い出したらどうしよう。

その隣であと数時間のフライトを耐えることなんてできない。

そんなことを考えて僕は

「大丈夫ですよ」

とさわやかな笑顔を作って答えた。

「ご協力ありがとうございます」

彼女は微笑んだ。

そしてしばらく、僕は呆然としていた。
離陸から熟考を重ねた上で下した決断が一瞬でひっくり返ったのだ。

改めて洋食メニューを見返したが、内容は頭に入ってこなかった。

なんで僕なんだろう。
なんで僕だったんだろう。

その思いがずっと脳内を駆け巡っていた。

そして1つの結論にたどり着く。

というか、
最初からなんとなく気付いていた。

たぶん、この機内には格差がある。

同じビジネスクラスでも、それまで搭乗回数などでステータスが決まっている。全ての客に序列のようなものがあり、僕はビジネスクラスの中で最下位だったのだろう。

でもそれをおおっぴらに説明するわけにはいかない。
だから彼女は何も言わずに僕に変更を迫った。

そう考えると、なんとも表現しがたい気持ちになった。

就活の学歴フィルターで説明会を予約できない学生はきっとこんな気分なんだろう。

数分後、僕が頼んだ洋食が運ばれてきた。
ワインを飲んで、ステーキを流し込んだ。

隣の恰幅のいいおじさんは和食を食べていた。
僕も食べるはずだった和食を食べていた。

食事を終え、残ったワインを飲み干すと先ほどのCAさんが再び声をかけてきた。

「先程はご協力いただき、ありがとうございました。こちら、つまらないものですが。」

そう言って渡された触り心地にいい巾着袋には、歯ブラシやアイマスクなどのアメニティーセットとお酒の小瓶が入っていた。

見たことのないお酒だった。

COINTREAU…

読み方もわからないお酒だった。

僕はその読み方のわからないお酒の小瓶を開けて飲み出した。
甘くて、アルコール度数の高い味がした。

そしてまた考えた。

僕に変更を迫ったあのCAさんはどんな気持ちだったのだろう。
僕が変更を拒んだらどうなっていたのだろう。
隣のおじさんは、どんな気持ちで和食を平らげたのだろう。

そんなモヤモヤを飲み込むように、僕は小瓶を飲み干し、眠りについた。

COINTREAU

後にお酒は「コアントロー」と読むことがわかった。

ビジネスクラスのお詫びに使われるということは、きっと高級酒だろうと思って飲んでいたが小瓶は300円程度のものだった。

ただ僕にとってコアントローは、モヤモヤを飲み込むために飲んだはじめてのお酒になった。

愚痴を吐くためじゃなく、愚痴を飲み込むのが大人のお酒の飲み方。
そう思わせてくれたお酒だった。

あれから11年。

今もバーカウンターでコアントローを見つけるとつい頼んでしまう。

そして

「あの時洋食に変えなきゃいけなかったのは、なんで僕だったんだろう」

そんなことを、また考えてしまう。

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小島 雄一郎
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