そのワンチャンスに賭けるには、ワタシはもう遅すぎる
どうして歯にはワンチャンスしかないのだろう?
乳歯から永久歯に生え変わる、人生にたった一度だけ訪れるチャンス。
しかもめちゃくちゃ若い時期に。
爪だって、髪だって伸びるし、
骨だって、ヒビくらいなら自力でくっつくのだから、
歯だって、自力で伸びるなり、自力で虫歯で開いた穴を再生するなりしてくれたらいいのに。
骨格のことなど、きちんとした理由があるのはなんとなく理解しているが、
できたらそのワンチャンス、35歳か40歳くらいに引き上げてもらえないものだろうか。
そうしたら、今なら、もっと真面目に歯磨きします。
幼い頃から、歯磨きも歯科医院も苦手だった。
とにかく面倒くさがりで、毎日の歯磨きが面倒くさくて仕方がない。しかも、夕食後の歯磨きタイムにはだいたい面白そうなテレビ番組がやっていて、
歯磨きなんて後でいいんじゃない?
と私の中の虫歯菌が誘惑してくる。
そして、その頃から意思が貧弱な私は、ほいほいとその誘惑に乗っかる。それを見かねた大人たちが、誘惑に負けまくっている私を憤怒の表情で洗面台に連れていくのだが、ぽろぽろと涙を流しながら、適当に歯を磨いて、
ハイ終了。
当時は、両親やら保健の先生やらから歯の大切さについて力説されても、実感が伴わないので、なんのこっちゃ、だ。
それゆえ、歯は残念な様相になっていき、歯科医院へ行っても、
歯医者さんは痛いことするから怖い! 痛い! 行かない!
と最悪の自業自得ループにはまっていった。
そりゃ大人になって
歯が痛いと頭痛までして来るぜ
とか、
歯が汚いと口臭がきつくなってパートナーとのチューに支障が出るぜ
とか、今なら実感が大いに伴って、あの頃の大人たちの必死さの意味がよく分かるし、素直にあなたたちに従っておけばよかったよ、とも思う。
しかし、それに気づいた時には
そのワンチャンスに賭けるには遅すぎて、お前(の歯)はもう死んでいる
という『北斗の拳』状態なのだった。
そんな私もとうとう追い詰められる日がやってきた。
奥歯の辺りが膿んで腫れ、口が開かない。食べたいものが食べられない。
そんな苦痛の日々が1年の間に数回訪れるようになってくると、流石の私も、いよいよですか感がいやがうえにも増す。
放っておいても自力で治ってはくれないことは充分わかっている。
でも、これだけほったらかした歯を歯医者さんに見せたら激怒されるかもしれない。大人だけど、自業自得だけど、怒られたくはない。でも痛い。
そんなある日のこと
「放っておいてもいいことなんて一つもないよ」
という声が、テレビの中から聞こえてきた。小池栄子さんがささやいたのだ。歯磨き粉のCMだった。まるで神の啓示だった。
そう!放っておいていいことなんて一つもない!
私は案外あっさり、心の中の小池さんと共に歯科医院へ行く覚悟を決めた。
歯医者さんの診断は、
親知らずがやばい
とのこと。
もともと親知らずが横向きに生えてしまっているうえに、奥歯との間に隙間が出来ており、そこに日頃の食べかすが溜まって歯肉が腐ってます。
とのこと。
なるべく抜歯はしないという昨今の歯科医療の流れをものともせず、私の残念な歯たちは、その場で、親知らず4本中3本を抜歯することが決定し、後日出直すこととなった。
抜歯は2日に分けて行われ、私は初体験のことに震えながら臨んだが、
心の中の小池さんと、数本の麻酔注射と、優しい医師と助手の方のおかげで、ものすごい力で頭をガッと押さえつけられながら、無事に、そして、本人は案外平気で終了した。
終了直後、助手の方に
大変な歯でしたね
と労わっていただいたが、私自身は麻酔注射が刺される瞬間くらいしか痛みも感じておらず、へ?という間の抜けた返事を残して歯科医院を後にしたのだった。
あれから数年。今でも歯科医院に定期的に通っている。奥歯は無事に治り、歯磨きも少しは上達したと思う。
とはいえ、面倒くさがりも意志の貧弱さも全く治っていないので、毎回通院するたびに、私の磨き残しやら食べかすやらをお掃除していただいている。ありがたい。
そして、今のところ、すこぶる歯は快調。
通院するようになって分かったことだが、
定期的に健診とお掃除をしてもらうと、大きなトラブルがない。
歯茎が腫れて物が食べられないということもないし、
歯医者さんに激怒されるんじゃないかと怯えることもない。
これはもう、私としては大発見だった。随分遅いが、大発見だった。
通い過ぎて、今では通院が3か月から6か月周期に変更にされ、少し寂しい気持ちすらしている。
なんという変化だろう。
なんでも早め早めが肝心だ。神様、歯様、小池栄子様だ。
今でも口内に少しでも違和感があると、頭の中の小池さんが私にささやく。