もう一つの京都の祭りは祇園祭
祇園祭は「スサノヲ」と「牛頭天王」の祭り
祇園祭に欠かせないのは山鉾と茅の輪(チマキ)であり、山鉾を引く京都の民は〝蘇民将来子孫也〟という文字を身に着ける。
“蘇民将来子孫也”とは「備後国風土記」逸文に残されている説話であり、それはつぎのような内容である。あるとき南海を旅していたスサノヲが宿を求めて巨旦将来を尋ねたところ、巨旦将来はみすぼらしいスサノヲを見て宿を貸さなかったという。その後、巨旦将来の弟の蘇民将来に宿を求めると、貧しい蘇民将来はそれでも粟殻の座と粟飯でもてなし宿を貸したという。蘇民将来のもてなしを歓んだスサノヲは「後の世に疫病が流行したときには自分は蘇民将来の子孫であると言い、茅の輪を腰につけておけば免れさせる」と告げたという。
そしてこの説話から、祇園祭を締めくくる「夏越祭」では「茅の輪守」が授与されるという。この風習は「茅の輪くぐり」にも通じるものがあり、全国のスサノヲを祀る神社では毎年「夏越祭」で「茅の輪くぐり」が行われる。また、京都では“蘇民将来子孫也”と書かれた護符をつけたチマキを各家の軒先につるようになったといわれる。そしてこのチマキは山鉾を立てる各町内で配られるという。
この話はユダヤ教徒の「過ぎ越しの祭」に通じる話でもあり、7月15日から7日間続くという点も関係がありそうである。そもそも、蘇民将来という名前こそが“蘇民(イスラエルの民)”であり、“平安京(イエルサレム)”の祭りであったからである。
そして、南海を旅していたスサノヲというのも事実ではないように思える。そもそもスサノヲは出雲の人である。出雲のスサノヲが南海を旅するとすれば、高天原から追放されて地上(日本列島)に降り立った後さらに南海の追放されるというのも変な話である。
“疫病退散”をさせるために必要な、疫病に対抗できる強い霊力を持った恐ろしい荒ぶる神スサノヲを持って来たかったのであるとは思うが、そこに収まった神はユダヤの神であり、その神に守られるのは“蘇民将来(イスラエルの民)”の子孫でなければならないという当然の帰結であった。
ではそのユダヤの神が牛頭天王か?
実はそうではない。そこには深い意味がある。