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親を見送るということ- 父にできること 編 -

咽頭癌の告知を受け緩和医療を選択し、放射線治療である程度回復した父は9月半に自宅に戻った。

しばらくの間は周りを驚かせるほど回復したように見えた。

しかし、12月に入ると首のリンパが私の目で見てもわかるくらい腫れてきた。
 
そして効き目の軽い貼るタイプの麻薬のようなものも使い始めた。

母は「確実に悪くなっている、夜中もベッドから出て頭を押さえて座ってる。私だって気になって眠れない。」と言うようになった

そういえば、父方の祖母が風邪をひいた時もそうだった。
母は「義母の様子が絶対おかしいから見てほしい。」と父の弟妹を呼び寄せた。

私や叔母たちは「そんな今すぐどうにかなることなんてないんじゃない?」と言ったのだが、

母は「入院させた方が良い、絶対に。」と引かなかった。

きっと介護するのが嫌なんだ、姑に散々嫌な思いをさせられてきたから。

そう思ったが、仕事を終えて顔を出した末っ子の叔父は、祖母の姿を見るなり抱きかかえて車に乗せ、病院に連れて行った。

祖母はそのまま入院し明け方に亡くなった。

祖父も私が3歳になる少し前に脳出血で亡くなった。

その日もいつもの様に一緒にお風呂に入り、いつもの様に晩酌した。

その時も母だけが祖父の様子が何かおかしいと訴えたそうだが、祖母は聞き入れなかったらしい。

みんな長患いすることなく呆気なく亡くなった。

父もそんなふうに逝ってしまうのだろうか?

母の勘は当たる

父は喉から出血する可能性もある。

主治医からは「出血したら最期だと思って下さい、救急車は呼ばないでうちの病院に電話して下さい。」と言われている。

気管切開をしておけば、万が一出血したとしても呼吸困難になることは無いのだが、そこも難しい選択だった。結局父が気管切開はしないと決めたのだけれど。

正解はどれなのか?全く見当がつかない。

当の父はどう考えているのかわからないが、耕運機をかけることも出来なくなった。

それでも何かしていた方が気が紛れるらしく、畑を歩くことは続けていた。

自分なりにこれなら出来るのではないかと色々考えているのだろう。

そんな父がある日、「パチンコに行きたい」と言い出した。

「え〜こんなご時世なのに?病人なのに?」

家族はみんな反対したが、言い出したら聞かない父だ。
「もうここまできたら好きにさせよう」と、1時間だけと念を押しパチンコに連れて行った。

しかし既に父は長時間同じ姿勢を保つことも難しくなっていた。

30分も経たないうちに「もう帰る」と言った。

父に出来ることがまた一つ無くなった。

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