親を見送るということ〜 風と共に去りぬ 編 〜
👇前回の記事はこちら
咽頭癌と告知されてから、半年余りで父は逝ってしまった。
父が生前一度だけ言ったことがある。
「自分のことが自分で出来なくなったら、おさらばだ。」
長い介護になるのでは?
これからどれほどの時間を父の為に費やすことになるのだろう。
戦々恐々としていた私たちのことを見透かしていたのかもしれない。
幾つになっても子供は子供、親は親。
いつも偉そうだったが、子供に苦労かけるのは親の意地として嫌だったのではないかと思う。
私は結婚してからも親のそばにいた。
だから、長い時間を共に過ごしたし、たくさんの思い出もある。
順番通りに先ずは父を見送ることが出来た。
子供としての役割は果たせた。自分自身を納得させるしかない。
お通夜・お葬式はこんなご時世なので、賑やかに送ってあげることは出来なかった。
父は祖父母を送るとき、自宅でお通夜・お葬式をすることにこだわった。
父もそんなふうに送ってほしかったのかもしれない。
実際父はどう思っていたのだろう。
父は死にまつわる話を嫌ったから、そんな話はひとつもできなかった。
きちんと話し合って本人が納得できる形で死を迎え、葬式が出来たら送る側は悩まずに済む。
でもそんな話は一切せずに、もうダメだと諦めたらさっさと逝ってしまうところが父らしい。
病気が発覚してから送るまで、これで良かったのか?という話を何度も母とした。
「これで良かった」
そう思うしかない。選ばなかった未来はどんな結末を迎えていたかわからないのだ。
これが最善の選択だった、私たちが選んだのだから、父もきっと納得してくれている。
元気な時にいっぱい一緒にいられただけで親孝行出来たじゃないか。そう自分に言い聞かせる。
きっと誰もが身近な存在を亡くした時、「もっとこうしていたら」「あんなこともしておけば」と思うのだろう。
答えはわからないから、生きている限り考え続ける。
そして次の世代に託す。
人の一生は長いようで短いし、短いようで長い。
人に何をしてもらったかよりも、自分は何が出来たかの方が大切だと思う。
自分のやりたかったことを、やり遂げるのは難しい。
父がどこまで納得できたのか、そんなこと私たちにわかるわけもないことだ。
初めて親を失って、何のために生きるか、誰のために生きるか、誰かの為に何が出来るか、そして自分がどう生きるか。
それを何度も何度も考えた。
でもまだまだ答えは見つからない。これから先もまだまだ考え続けることになるのだろう。
父の納骨の日はとても強い風が吹いており、生前父が畑に取り付けたカラス避けがはためいていた。
「じいちゃんがもの凄い勢いで、あっちに行こうとしているね。」
と、家族みんなで空を見上げた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?