希望のありか
東北!にきた!
いえい。怒涛の夏休みの幕開けである。
僕はこの夏休みを楽しい素晴らしいものにするために躍起になっていた。
CFFの過去キャンパーで行われる東北スタディツアーに参加した。
群馬から車を出す僕のために前日の22時に愛知から高崎駅まできてくれた最強男はあの林である(過去ブログ参照)。
林も同じく夏季休暇を利用しての参加だった。愛知と群馬なのにすごい頻度で会っている。
僕らは群馬で合流して、2時間早く集合場所の大宮に着いた。
さっそく時間配分がこのザマだ。道中、温泉からのドンキ二軒ハシゴという謎のDQNプレーをかましたのにもかかわらず早く着いた。
林は眠気の限界だったが僕は全然だった。結果カラオケに入り、僕は1時間半歌い続け、そのスピーカーの前に頭を置いて林は爆睡した。
狂気の沙汰である。崩壊後の世界みたいだ。
1時間半爆睡した林は起きた1秒後にGReeeeNの「愛唄」を歌い、歌い終えたらすぐにコーラを一気飲みした。
不眠症の僕ですら、これが今まで見た中で間違いなく最悪の起床だと思った。
これから三日間の旅行が始まるのに、寝れるのはたった1時間半で、起きてすぐバカ高い声を出しコーラを飲み干すのだ。
中世の拷問みたいだ。
なぜこの地獄カラオケを敢行したのかはよくわからないが、これが旅の始まりだった。
今回のツアーは「東松島被災地めぐり、防災クイズ、海岸清掃、荒浜小学校見学、地域の野菜でカレー作り、廃炉資料館見学」などが含まれるもりだくさんの二泊三日だ。
今回ツアーに協力してくれた東松島の方々は、こんな学生か社会人かも分からない妖怪眼精疲労男を快く迎えてくれた。
ツアー自体は4回目の開催で、全国から12人のCFF過去参加者が集った。
「同じ団体の海外ボランティアプログラムを経験している」というのはなかなか不思議な感覚で、CFFにかかわる人は他人だと思えない。
年齢も住む場所もバラバラの僕らは、現地で感じた、何か言葉にできない「あの感覚」を共有した仲間なのだ。
今日はそんな素敵なツアーの感想をシェアしよう。
ちょっと真面目な内容になるけど、夏休み臨時ブログだしいいよね。
変わるもの・変わらないもの
もう被災地を訪れるのも10回を超えた。だがここに来る度、自分の無知を思い知る。それだけこの地で起こったことは多く、防災の歴史は古く深い。驚くほど変わっていた場所もあった。野蒜海岸は見違えるほど綺麗になっていたし、荒浜小学校の前もとっても綺麗になっていた。しかし正直「8年で本当にここまでなのか」と思ってしまう瞬間もある。
8年経つと、訪れる人間から「一刻も早い復興を!」とか「1日でも早く東北に元気と希望を!」みたいな言葉が減ってくる。心のどこかで「どこを目指していて、今どのくらいなのか」さらには「私たちの復興は、東北は、この国はどこに向かうのか」という疑問が浮かぶのかもしれない。今まさに多くの間接支援者がぶち当たる問題はそこのような気がした。それをを明示するのが誰であるのかすら、宙に浮いたままのようで、僕たちはどこへ向かうのだろうと思わせるのは時の魔力である。
この先の答えを探すのは、これを読んでいるあなたに任せよう。
向き合いの代償
児童福祉の現場にいても、被災地にいても「向き合い」の難しさを感じる。だって僕たちは皆、他人なのだから。隣人が指を切っても僕は痛まないし、僕の給料は隣人の口座に支払われない。向き合うったって僕らは迫り来る暗黒の津波をこの目で見たわけではないのだ。
じゃあ、どうしたらいい?同じ場所に立って、この震災と向き合うにはどうしたらいい?向き合おうとすること自体ダメなのか?
無理なのか?ただのエゴなのか?
答えはNOだ。僕らの共感性や想像力、感受性は何のためにあるんだ。
人間の体は知っている。人間がひとりだけでは生きてゆけないことを、何万年も前から知っている。
共感や言葉はそんな人間が生み出した、この種がこの地で生き延びるための武器だ。
向き合いは双方の信頼と覚悟によってのみ行われると思う。つまり、必要になってくるのは自分自身がこの震災の、復興の一端の責任を担う覚悟だ。
知り、訪れ、触れ、貰い、与え、想いを馳せ、伝える責任を
認めることが必要だ。
上がらぬ旗
僕は海外ボランティアや国際協力の学生団体やインターンなど
自身の生まれたもしくは育った環境が一般のそれよりは大変で、助けを求めていたり、自分ひとりの力だけではまだ社会で生きていけないとされ、支援を必要としている子供と接していた時間が平均的な大学生よりは長い。
そう眉間にしわを寄せないでくれ。
彼らは決してかわいそうではないのだ。あなたにかわいそうと同情されるほど、まだ負けちゃいないのだ。
自分の人生に、環境に、身体に、社会に、まだ白旗をあげちゃいないのだ。
その誇り高き葛藤と歩みに僕らはいつだって敬意を持って接しなくてはならないし、決して自分の方が偉くて「助けてやる」などと言う傲慢な勘違いをしてはならない。
そして歩いているうちに忘れがちだが、僕らの人生は平均台のようなもので、この瞬間にそこから落ちたってなんら不思議ではないのだ。
僕らをこの世に繋ぎ止めている肉体なんて信じられないほど脆いのだ。
しかしそんな危険を日常の中で忘れてゆくのは、人間という地球上の超異端生命体の悲しくもありがたき性だということもまた真実のひとつだ。
宮城で食べた海鮮料理はほっぺたが落ちるほど美味しかった。今では多くの人が海鮮を求めて足を運ぶ。多くの命を奪った海は、その悲しみから立て直す材料を産んでいるように思えた。自然は僕らから奪いもするし、与えもする。自然から離れては生きてはいけない。それは僕らの手でコントロールできるほど小さな力ではないのだ。誰もが大自然の子供なのだから。
希望はその手の中に
大きな大きな空の下で、こども達のはしゃぎ声が響く。
災害に立ち向かっても身体は確かにかなわないが、僕らの心までは奪えやしない。
この地で、こども達は育ってゆくのだ。
あの日、何人もが悲しみにくれ、運命を恨み、こらえきれない涙を震える腕で拭ったこの地で、こどもは育ってゆくのだ。
彼らこそ、彼らの命こそ光り輝く希望であり、未来だ。
社会がどんな姿をしていても、どんなに悲しいことが僕らを襲っても、それだけは決して変わらない真実だ。
「まず知ることから始めよう」そんな便利な言葉が多すぎる。知ったあと何もしないじゃダメなんだ。知るだけで世界が平和になるならソクラテスの時代から世界は超平和である。あなただってこの社会を動かす一端の責任を担っていることを忘れてはならない。この世の中は決まったレールの上を通っていくようなものではなく、本当に僕ら名も無き市民の行動でどうにだって変わっていくものだと歴史が証明してくれたじゃないか。いつまでボーッとしてるんだ。サラエボで引き金をひいた青年は確かに世界を大きく変えてしまったじゃないか。僕らの人生も世の中の形も、本当に僕ら次第なんだ。1秒先の未来を作るのは今の自分でしかないんだ。
出来ることがあるならやろう。ないなら学べばいい。
僕たちの先祖はそうやって、途方もない悲しみも憎しみも教訓に変え、顔も知らぬ未来の同種の幸せを願ったのだから。
送り火に照らされる後ろ姿に感謝を込めて、今生きているものが手を動かそう。