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いざ、マレーシアへ!


「これまでの過去があったから今の私があるんです!」

だってそりゃそうだろう。全員そうなのだ。



「親がいたから私がいます」
「種を植えたのでスイカが実りました」
「夏だから暑い」
そりゃそうだろう。


だが誰しも


「あの時の経験のおかげで、自分の人生の方向が変わった気がする」


と思う出来事があるだろう。なかったらごめん。
別にあるからどうとかではなくて、ただ今日はその話をするよってだけだ。


大学1年生の夏休み、僕は海外ボランティアのプログラムに参加した。
当時バイトをしていた居酒屋で、参加費獲得のため12万を1ヶ月で貯めるという暴挙を成し遂げた。
逆・働き方改革だ。手が包丁になるかと思った。
「全自動だし巻き卵製造機」のある世界線に生まれたかったと本気で思うほどだった。


なんとかためたお金を携えて意気揚々とマレーシアに向かった。
集合した空港で顔立ちの整った女の子が「直前になっていくの怖なってめっちゃ泣いてもうた」と言われて釣られて怖くなったのも覚えている。


このプログラムはGMM(仮名)というNPO法人が元となった学生主体のキャンププログラムだった。
マレーシアのコタキナバルという都市を目指す。
乗り換えのクアラルンプール(首都)空港で一人合流した男がいる。
紫の帽子をかぶり腕を組んで寝ていた激ヤバ男がいた。後にもう一度この男とこの地に来ることになるとは夢にも思ってもいなかった。


マンディ


風呂はここです(どう見ても川)。
事前に説明を受けてはいたが、いざ目の前にするとびっくりする。
「ここが、、、ふろか、、(どう見ても川)」
林(仮名、過去ブログ参照)はワクワクしていた。マンディが決め手になってマレーシアのプログラムを選んだそうだ。
すごいやつだ。雨などでマンディができない日は貯めておいた水でかけ水的なお風呂だった。
林と一緒に入るのだが、林の風呂は僕の何倍も時間がかかるため僕は待っている間犬に怯えながら蚊に刺されていた。
(この犬はある女子キャンパーに発情すると言うトンデモ犬な一面も見せてくれた)



ワーク


この施設は全て手作業で作られる。キャンプの参加者が代わる代わるワークをしていくのだ。
僕も自慢の非力と腰痛を携えてワークに臨んだ。
コンクリートが目に入ったり、砂が目に入ったりした。
日焼け止めは汗で流れ僕はまっかっかになった。




当時19歳。カードローンも落単もまだ知らず、まさに何も怖くなかったように思う。
そんな厄介な僕を暖かく迎え入れてくれた人達に感謝しかない。


男子と女子の距離も非常に近く、ケータイも繋がらないあの環境だからできたことだと日本に帰ってきて実感する。


僕がこのキャンプで最高だと思ったのは生活そのものだ。
働き、学び、語り、食べて、寝る。
こんな夢見たいな生活、日本では許されない。
(日本は、気づけば余分なことに囲まれて、余計なことばかり気にし、やらなくていいことに追い込まれ、なんだかみんなして自分を見失っているようだ)
午前中、精一杯体を動かしてお昼を食べた後の昼寝は極上だった。
異国の地のひんやりと冷たい床と心地よい風が人生で1番気持ちのいいベットだった。
当時から睡眠に悩みを抱えていた僕にとってこの1時間にも満たない昼寝が、またこの地を訪れるだけの理由をくれた。


次のキャンプには緑頭で参加し、夜空の下「告白ゲーム」なるデスゲームを経験することになるのだが、それはまた別の機会に話そう。


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極悪
どうも。 サッと読んでクスッと笑えるようなブログを目指して書いています。