①先生、猫の首がありません
いくつか前のブログにも書いたが、僕は高校1年生の頃特別進学クラスにいた。
隔離された教室、少人数、教卓には悪魔、手元には課題の山である。
ここにいる全員は特進になることを希望したわけではなく、入学試験の成績がよかった生徒が無造作に詰め込まれる。
つまり皆希望してここにいるわけではない。
中には僕のような推薦受験でさっさと決まり、ゲームセンターの隅で時速160kmの車を暴走させることにはまっていたスピード狂もいる。
1組に集められた男子は13人だった。
そのうち6人は馬鹿だった。
成績が悪いのではなく、常に目を光らせていた。
当時夢見ていた高校生活はなく、悪魔に踊らされる日々の中で(主にイタズラによって)ふざけられる機会を虎視眈々と狙っていた。
考えられる限り最大の幅で目的を見誤った僕らは毎日いそいそと遊びを開発していた。
誰か殴ってでも止めてくれ。
というかお前高校に何しに来たんだ。
しかし面白いことは得てして無自覚のうちに発生するものである。
ある日、学校の中庭で猫の首無し死体が見つかる事件があった。
この事件が起きた頃、僕たち特進クラスは度重なる課題と補習地獄により骨の髄まで数式がメモされていた。
教室にピチピチの高校生の姿はなく、焼け跡から出てきた人形のようだった。
僕たちは毎日ふざけ、愚痴ることで自我を保っていた。
会合は主にお昼休みに教室前の日当たりでお弁当を食べながら行われていた。
話はそれるが僕たちの高校は給食が出て、2週に1度は教室で弁当が、他の週は食堂で学食が支給されていた。
今はどうなったか知らないが、当時の給食はこの世のものとは思えないほどまずかった。
形容できないくらい不味い揚げ物の中にはヘドロのような何かが入っていてバイオテロを疑うほどだだった。
ベチャベチャの生野菜はまずいというか限りなく不快だった。
その日のお昼も不味いお弁当を抱えて教室前で話していた。
首無し死体の話は鬱屈とした日常に変化を与えてくれる話題だった。
見つかるかね〜なんて言いながら弁当を片付けた。
そして教員による猫の首捜索が開始された。
それなりに広い敷地だったので学年主任まで加わった捜索になった。
特進クラスの連中は中庭からも遠く、マジで誰も疑っていなかったのでこの話はもう自分達には関係ないくらいまで興味は薄れていた。