書くことがない日こそ、書いてみよう!書く筋力をつけるにはこういう日こそ大切なのだという話
今日は、ノープランで書き出している。
毎日記事を書いていると
今日はこれを書こうと、テーマがハッキリと決まることもあれば
何も書くことがないけど、とにかく何かは書こうと
ひねり出して書く日もある。
とにかくこうして書き出してさえしまえば
なにかしら文字が綴られていくのだ。
何というか、書くネタみたいなものはある。
noteを毎日書き出してから、ネタになりそうなことを思いついたらすかさずスマホのメモに記入するようになったので、そこを見れば何かしらのネタはある。
でも、記事を書くモチベーションが低くなっているときというのは
そんなネタを見ても、書くエネルギーが湧いてこないのである。
記事によっては、ある程度の熱量が必要だったり、深く考えることが必要だったり、そうやすやすと書けないものもある。
書くネタはあっても必要エネルギーが足りてないのだ。
いまこうして書いている文章は
書く気がなくても書ける。
ただ思ったことを書いているだけだからね。
毎日記事を書いていると
こういう書けない日、書きたくない日は当然でてくる。
そんな時でも、書くと決めたのなら書くしかない。
こんな内容のない記事になったとしてもなのである。
これは何だろう、筋トレで言ったら
もう限界なんだけど、その限界を超えてあともう一回持ち上げるような記事なのかもしれない。
持ち上げられないけど、あと1回だけ持ち上げてみる
書けないけど、とにかく1記事書く
うん、なんか似ている気がする。
ということは、この限界を超えて書くことで、筋肉のように書く地力というものがついていくのかもしれない。
そんな気がする。
そんなこと考えてなかったけど、いまこうしてダラダラ書いてみて気づいた。
書くことは考えること。
何かうんうん悩んでいることがあったとしたら、とりあえず頭の中をこうして書き出してみれば考えも進みそうですね。
これが書くことの素晴らしさであり、意義なのだろう。