自邸を設計し、独立する
7年勤めたゼネコン設計部を退職し、ふたつ目の自邸リノベーションを完成させ、一級建築士事務所を立上げて早いものでもう1年。
この1年ははどう考えても僕にとって大きな転機となる年となりましたので、自分の備忘録として、また、転職や独立などを考えるさまざまな人にとって何かの足しになればと思い、ダラダラと書き連ねてみようと思います。
これまでの自分の活動については下記にまとめています。
簡単にまとめてしまうと、
「ゼネコンに勤めて、10万㎡を超える建物の設計をしながら、中古マンションを購入し、自身で設計をして1年間住んだのち、売却する」
という、せわしなさ全開の内容になっています。
今回はそれ以降の話をしたいと思っていますが、やはり、去年「独立してみたい」という想いが芽生えたのは、一つ目の自邸の設計が大きく関係しています。
今回は、2つの自邸の設計を通して、僕なりに将来のことについて必死に考えた軌跡をお伝えできればと思います。
・働き方/暮らし方を劇的に変えたコロナ
ひとつ目の自邸を竣工させた後、世間はコロナ真っ只中でした。
古めかしい体制のゼネコンと言えどもリモートワークが普及し、大勢の人が、働き方が劇的に変わる経験しました。働き方が変わったと同時に、自分の家にいる時間が圧倒的に長くなった、ということの経験でもあったと思います。
そのような中で自分が設計した自邸に暮らし始めたことは、奇跡的な取り合せだったと今思い返すと感じますし、そのことと独立したい想いが芽生えたのは関係が無いとは思えません。
僕がひとつ目の自邸とその暮らしを経験して強く感じたことは2つでした。
一つは、暮らすことと働くことは十分兼ねられるということ。
家とオフィスと言い換えてもいいと思います。
当時設計したリノベーションは60平米ほどの部屋をワンルームにし、寝室すらもカーテンで仕切り、日中にデットスペースになる寝室をリビングの広さや奥行きに寄与させるという、中々思い切った案でした。
リモートワークが家を侵食する中で、狭い家をさらに狭く細かく分割し、ワークコーナーを設ける間取りの対応をした賃貸部屋が普及していく中、あくまで、家もオフィスもごちゃ混ぜ・全部一緒に振り切った設計でした。
この方法が無理な方もたくさん居ると思います。職住はあくまで明確に分かれて無いとダメだというのも当然の主張としてあると思います。
あくまでこれは僕の事例です。
職と住が分かれていることは僕ら夫婦にとっては使いづらく、そこはフルシームレスであって欲しい。
僕の仕事が建築設計であることも大きいと思います。自分がデザインした場所に暮らす以上、そもそも職能と住まいを切れ切れにすることはできません。
もう一つは、家で働く方がめちゃくちゃ集中できる、リラックスできる、ありのままでいられる、という超普通のことでした。
しかしこれはめちゃくちゃな発見でした。
これも「僕の場合」であり、これは人によってそれぞれだと思います。
サボるとかそういう程度の話ではなく、これまでの自分は、自分の形でしっかり集中できていなかったのではないか、という思いになりました。
当然ですが、基本的にオフィスにはたくさんの人がいて、たくさんのことが行われています。
自分に与えられたスペースは限られており、それに手を加えるのも限りがあります。
周りのペース、上司のペース、自分以外の雑多な様相に支配されています。
それが僕は結構嫌だったことがリモートワークをしたことでハッキリ分かってしまいました。
もちろん建築はチームで行う仕事なので、全てをクローズにできるわけは無いのですが、リモートワークだと無駄に巻き込まれて邪魔されることなく、自発的に組み立ていく自由さを経験しました。若手から中堅へ移行する時期だったというのもあると思います。
オフィスに行ってる時間だけが働いてる時間だという認識にそもそもズレがあって、仕事はしっかりとやった上で、眠けりゃ昼寝かまして、夜ばっちり集中するのも当然ある。人間だもの。
なので週2リモートにできるときなどはオフィスと自宅をサンドイッチしながら、毎日職場を変えることでオフィスでやりやすいワークと自宅でやりやすいワークとをスイッチしながら相互作用させていくのに気持ちよさを感じました。
このひとつ目の自邸での「働き方」に気持ちよさを覚えたことが、独立したい気持ちの萌芽だったと思います。
・僕なりに考える/作品を作ってしまう
独立を意識し始めた大きなきっかけがコロナを背景とした働き方の変化と自邸リノベの掛け合わせだったのですが、全く別の側面からお話したいと思います。
そもそもひとつ目の自邸を作ったのは会社でのプロジェクトが大きく影響していました。先程のnote記事に徹底的に書いていますが、簡単に言ってしまうと、めっちゃ大きな建物をずーっと担当していたことの反動からでした。
大勢のメンバーでプロジェクトを推進し、長い時間をかけて都市開発レベルで物事を考えるロマンがある一方で、新社員明けでウブウブな自分にとっては、自分ごととしてスケールさせるのは難しかったのです。
なので、0〜10まで全てを考え、全てを決定する経験をしなければと強く感じ、当時の自分にとって、仕事をしながらなんとか超えられそうなハードルとして中古マンションリノベーションによる自邸をやることに決めました。
この時には「独立したい」とか「独立するため」という意味合いは微塵も思っていませんでした。30歳を迎え、同期がバンバン作品を世に出す中、何もできない自分がいたので、何かやんなきゃ…という漠然とした焦りの方が強かったです。
半ば直感的に動き始めた自邸プロジェクト其の一でしたが、この30歳前後という一般的に早いタイミングで行動したことはいくつかのメリットがあったと感じています。
・自邸作りは小さな事業
自邸というビルディングタイプはこと建築において非常に特殊な立ち位置と言えます。
建築というのは、クライアントと建築家の相互関係から作られていくのが通常であり、他者という社会性を介してこそ建築たり得る部分があると思います。
それは僕としても重々承知しているつもりです。
しかしながらインハウスでぬくぬく設計してた自分に、パッと神のようなクライアントが現れるわけもなく、親戚から手頃なプロジェクトを頼まれる、みたいな恵まれた機会も当然ありません。
そうしたら、自分がやりたいようにやれるプロジェクトを起こす所から始めないといけない。これは当然な流れであり、最小の登場人物で、最小のスケール、最小の背負える責任を突き詰めると基本的には自邸しかあり得なくなると思います。
また、最小であるからこそ、建築プロジェクトを推進するという上で基礎的な能力を養えるのではと感じています。
特にゼネコンで働く設計者として圧倒的に欠如していたのはファイナンスの能力でした。能力というか一般的な知識の範疇、と言ってもいいと思うのですが…僕はもう皆無中の皆無でした。
最近はもう教育も変わっているのかもしれませんが、建築学科でお金のことって詳しく教わらないという結構ヤバい状況で、卒業設計で素敵な空間の案を考えるのはものすごく長けているのだけど、
冷酷(冷静)な(都市計画系・環境系の)教授から
「これ誰がお金払うの?」の一言で玉砕する風景、めちゃくちゃあるあるですよね。
そのくらい事業者は建築を実現することにおいて欠かせない存在なんですが、建築の教育現場においては「まぁそんなカタイコト言わずに、一回それは置いておこうぜ」感が否めません。
しかし自邸においては、どのようにお金を調達するのか、それは住宅ローンという超一般的な方法なのですが、そのフェーズから体験することになります。
自分はいくらくらいまで借りても破綻がなさそうなのか、どのくらい住んで、毎月どのくらい返すのか、じゃあどの銀行に借りるのがいいのか、考えることは山ほどあります。
ファイナンスなんて偉そうなレベルではないですが、 、僕としては基礎的な要素は十分に詰まっていて、設計者として事業者側の立場を理解する上でも重要と思うわけです。
基本計画・基本設計から関わるのではなく、プロジェクトを発生させる部分から経験することは完全なるメリットだと思います。
・決定する経験
自邸を早い段階でやることの最大のメリットは若いなりに「自分はこう思うんだ」を形にすることにあると思います。
組織や業界の中は経験値が最大にモノを言います。これは避けられない。
そうすると、良くも悪くも「こうしておくと良い」に収束しがちになります。そこには膨大な知見がありますし、そもそもそれをひっくり返そうという気概すら生まれません。
そういう中でデザイン的な挑戦や、それらに対して自分が抱く違和感に踏み込みきるのはかなり難しいと思うわけです。
特に自邸、かつリノベーションであれば、ガンガンチャレンジできると思います。お金を出してるのは自分。責任は全て自分にあるんだから失敗してよい。それを今後のキャリアで叩いて伸ばしていけることが重要と思います。
自分はこう思う、を「決定」という経験を通して実現することが若くして自邸リノベする価値だと思います。
究極、組織の中で若手が決定権を持つことはほぼ無く、自分が何かを決定するために、何をどのように検討し、比較しないと決められないか、その尺度を持つことがめちゃくちゃ重要だと思うわけです。そして、その尺度はクライアントワークでも必ず役立ちます。
通常のプロジェクトでは「クライアントが決めてくれない」と言い訳しがちだけど、自分が決定者になるとその苦しさも分かるのも良さだと思うわけです。
・僕は独立したいのか
ひとつ目の自邸を完成させ、その楽しさに心酔し、即座にまたやりたいという気持ちが芽生え、1年住んだ後売却をし、ふたつ目の自邸を進め始めました。
自邸と言えば、建築家の一生に一度のプロジェクトという暗黙の空気感があるように思うのですが、僕としては、ひとつ作るだけでは、自分の終の住処なんて全く想像できない。というか、30代と40代と50代で住みたい場所なんてめちゃくちゃ変わるっしょ、という考え方をしています。
ですので、終の住処へのスタディが今の活動だと思っています。
ひとつ目が60㎡の部分リノベーションと、ある種やる範囲を区切り、最初からゴールをすこし低めに設定していた部分はあるのですが、ふたつ目は完全にフルリノベ。しかも90㎡なので面積は1.5倍。もう少しやれる幅を広げて、個人的にステップアップを図りました。
そんな中、会社では10万平米を超える超大型物件ではなく、担当者として1人で見切れるような1万平米弱のプロジェクトに兼ねてから挑戦したいと駄々をこね続けた結果、コンペを与えられ、それに勝ち、かなり負荷がかかり始めました。
個人の方をフルリノベーションにスケールアップしたこともあり、なかなか二つを同時にこなすことに参った時期もありました。
僕のスタンスとしてはあくまで現業をしっかりこなした上での個人の活動だったので、当時ふたつ目の自邸はほぼ設計を触れなかった謎の3ヶ月があったりと、ズルズル流れていました。
普通に会社の仕事をこなすだけでも大変で、キャパオーバーなこともありまくりでした。
どちらもブッ放す作品を作りたいタチである以上、個人の方を止めざるを得なかったのです。
当時の僕は、自邸で働く気持ちよさを感じつつ、会社でしかやれないスケールのプロジェクトに関われることにかなり充実感を抱いていました。
これも自邸を作ったからこそ至れた見え方なのですが、小さな住宅をやってみて始めて、都市的なプロジェクトのロマンにまた気付けるものです。
会社に属しながら、個人で自邸を作り続ける二軸の道もあるな、と思いつつ、自分の性質上、ちょっと難しいのかもしれない。
このあたりから将来について爆裂に考えるようになりました。身体を壊して休むこともありました。
さて、僕は独立したいのか。
・どうしたら独立できるのか
リモートワークと自邸連作の活動をきっかけに独立の想いが強くなっていきました。
しかし、重要なこととして、はたして僕なんかが独立できるのか?という問いがありました。
ゼネコン設計者として7年働いたキャリアのみ。なんとなく自分の認識として会社の中で一人前としてバキバキに回す人は15〜20年選手くらいの方々。しかも自分は大型案件を担当していたので、部分的な経験しかできてなく、しかも特殊な与条件での経験でした。
圧倒的に経験は足りていない。
とても悩みました。
そんなある日、2つめの自邸の現場監理をしてミルミル空間が立ち上がっていく中、急に、いや、もう今しかない、と視界が開けました。
めちゃくちゃ普通なことを言って大変恐縮ですが、全てはタイミングだと思ったのです。
だって経験はないもんな。笑っちゃうくらい無い。
でも、じゃああと10年いれば独立するのに十分な経験は得られるのか?
それは分からないです。このまま10年でビックプロジェクト一個ってことだって無くはない。だって7年で一個しか立たなかったんだから。
そもそもそれは会社にいる以上アンコントロールなんですよね。要望は出せますが。
あと10年ゼネコンにいればもちろん今より専門的な建物の知見、技術的裏付けが増えることは間違いないです。
しかし、先に独立して10年経験した方が、独立して生きていくことの知見は当然溜まります。それに関しては早いに越したことはない。転職を挟む選択肢ももちろんありましたが、多かれ少なかれ、経験値でいえばどちらの方が絶対に良い、なんてことはない。
幸い、プロジェクトを推進する、仕事を進めるという最低限のスキルは経験したと、傲慢ながら自負していました。それさえあれば、技術的なことは経験している誰かに教えてもらいながら生きていく基本姿勢はどこにいても変わりません。
なので問題は経験ではなく(見事に棚に上げただけかもしれませんが)、食っていけるか、の方でした。
独立して食うにはお金を稼ぐ必要があり、建築設計職の原則でいえば設計を頼んでくれるお客さんがいなければならない。
結論、詳細な客付戦略やブランディングを練ることなく、フルスイングをカマした出来行くふたつ目の自邸の現場に立ち、
「これだけ作りきってお客さん来なかったらもう一生来ないわ」と妙に肩の力が抜けました。
作った家がそのまま自分のデザインを示すショールームになる体験はひとつ目の家で体感していたので、逆にいうと、ふたつ目が完成するタイミングを逃すのはあまりに勿体無い可能性があると思ったのです。
なんにも調べていませんが、おそらくふたつ自邸を設計して独立した建築家は現時点では僕しかいないはずです。
パンチラインというかブランディング的には結果的ですが、それで十分なのでは。
エンドユーザーへのメッセージ性ゼロなのは大問題ですが、面白がってくれる事業者側に近い不動産関連の方々や同業の方と一緒に仕事をする機会が貰えそうな感覚も多少ありました。
どうしたら独立ができるかという経験値、線引きはやはり一概に言えないと思います。しかし、基本的には食べられれば独立する権利はあると思うわけです。
だとすれば今はこれ以上無いタイミングに来ていると(都合よく)判断し、このふたつ目の自邸と心中しようというカミカゼメンタルで独立を決断しました。
・ひとまず生きてはいる
一級建築士事務所HAMS and, Studioを開設し、ちょうど1年となりました。
まだたったの1年でしか無いのですが、仕事なさすぎて再就職しなければ、とは今のところはなっていないので、独立後の動きについてお話できればと思います。
独立後1ヶ月でふたつ目の自邸が完成し、これでもかというほどにコキ倒しました。
メディア・コンペへの応募、内覧会の開催等、この作品をきっかけに次のプロジェクトに繋げないと食べていけないからです。
そして本当に幸せなことに、SNSでの発信を見て頂き、こういう家、もしくは暮らしをしたいと共感してくださった方からお声かけ頂き、リノベーション、新築戸建など、プロジェクトがいくつか進んでいます。ご自宅として作られる方もいれば、不動産会社さんからのお話等もあります。
また、自邸では家具までを検討し尽くしたことをきっかけに、ポップアップギャラリーのプロジェクトにも繋がり、こちらは完成しました。
これら什器は家具ブランドとしてスタートさせることができました。自邸プロジェクトを端緒とした家具ブランド。
自邸から独立、自邸からブランド化。
自邸という枠組みを超えていかに繋げていけるかをひたすらに考えています。
タイミングを重要視した自分の選択は、今の時点では間違ってなかったかなと思えています。
今の時代、単に仕事をするということであれば、さまざまなプラットフォームがありますので、それなりに機会を得られます。cadも3DモデリングもCGも使えるので外注としてでもそれなりに仕事はやれる。
しかし重要なのはどのような仕事をするかという質の問題です。
自邸を作り、それを広告塔として打ち出したことによって、先述した「僕はこう思う」に共感してくれる方とマッチできる可能性が上がった感覚があります。
コスト・スケジュールが第一になっているプロジェクト、または、多くの設計士さんがいる中での相見積の仕事は中々今の自分には難しいと思っています。
もちろんその与条件を外すことは出来ませんし、お金がないとデザイン出来ないと言うつもりは無いです。
コスト・スケジュール・性能・デザインの総合的なコントロールはゼネコン出身の分、むしろ得意としていると自負していますが、「安くて早い」に比重を置くプロジェクト・事業主と僕の相性はあまり良く無いと思うわけです。
自邸を作り、「僕はこういうことを考えられます。こういうことが好きです。得意です。」を表現した分、そのメッセージは届くのかな、と信じています。
あとはやはりSNSの破壊力に驚きます。
ふたつ目の自邸の方は特に頑張ってメディア・雑誌に掲載してもらえるよう奮闘し、いくつか載ることができたのですが、中々そのルートからプロジェクトに進んでいくような機会は今のところありません。
雑誌は色々な切り口で様々な作品が同列に扱われてるので、その中から自分を選ぶに至って貰えないのか、どちらかというと同業への認知に大きな価値がある気がしています。お客さんになるのは何もエンドユーザーだけではないので、とにかくきっかけとなる面を広げること。それはそれで超重要だと思っています。
僕なんかSNSなんて全然まだまだなのですが、それでも、今動いているプロジェクトの全てがSNS(僕の場合はTwitter)きっかけであることはまさに時代なのかなと感じます。
・まとめ
ここまでコロナを背景にした働き方の変化と、ふたつ目の自邸の竣工というタイミングから独立の経緯をツラツラ話してきましたが、まだたった1年しか経ってない、二足歩行もできてない赤子だということは鬼自覚してるつもりです。
自邸を作ったことによって、共感してもらえる人からプロジェクトを頂く、というハイハイの一歩目は踏み出せたかも、という段階です。
それもまだ竣工してないのでまだ偉そうなことは何も言えません。
作品は作品を呼ぶというループをどうにか生み出しながら、住宅リノベーションだけで無く、新築改修問わず、様々なビルディングタイプに拡大していきたい想いです。
HAMS and, Studioはあなたからのプロジェクトをお待ちしております!笑
また、もう一つの軸として、やはり自分のカナメは自邸にあると思っています。
もっと言うと、自邸だけで無く、家具ブランドへの試みへ展開したことも含めて、建築家が事業として仕掛ける側でいることには拘りたい。
今は三つ目の自邸プロジェクトについて、リノベーションなのか、新築なのか、次の一手としてどのような動きが面白そうか、空想妄想を広げています。
マンションも土地も結局は一点モノで、やれることはそのモノ次第なので、妄想してても仕方なく、探し続けることが重要です。SUUMOの嵐はとどまる事を知りません笑
以前はTwitterで下記のようなことを発信してみたり。
「賃貸自邸」を構想中。
やはり僕がやれる設計という職能をバーターに仕掛けられることがきっかけになる気がします。
ストックを活かす観点で賃貸という領域に建築家が範囲を広げることは大きな意味があると思います。
僕がかんがえたいのは、大きなデベロッパーがやるような合理的で大量生産で画一的なものを作るのではない方法です。
一室一室という単位で答えを見つけていきながら、建築家が次々にうごめくことで街が更新されていくイメージです。
三つ目の自邸がどのような形になるのか、もう引っ越しが疲れて辞めてしまうかもしれませんが、是非とも乞うご期待!!!
ここまでお読み頂きありがとうございました!
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自己紹介
伯耆原 洋太 (ほうきばら ようた)
1990 東京都生まれ
2009-2013 早稲田大学建築学科
2013-2015 同大学大学院
2015-2022 竹中工務店設計部
2022- HAMS and, Studio 一級建築士事務所 開業
2023- 一級建築士事務所 HAMS and, Studio 株式会社 設立
2015 トウキョウ建築コレクション 大西麻貴賞
2016 第23回空間デザインコンペティション 優秀賞
2020 リノベーションオブザイヤー 最終ノミネート
2022 リノベーションオブザイヤー最優秀賞
2022 LICC インテリア部門最優秀賞
建築家 (HAMS and, Studio 代表取締役・管理建築士)
プロダクトデザイナー ( Ferrum+ )
ツッコミ ( 社会人お笑い倶楽部らふらふ主宰 )
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