「みんなの学校」と「『ふつうの子』なんて、どこにもいない」
書籍「『ふつうの子』なんて、どこにもいない」
昭和の時代に児童期を過ごした私は本の虫で、本以外に友達もなく、「困難さをかかえた子供の話」を読むのがすごく好きだった。
鹿嶋和夫の「一年一組せんせいあのね」や灰谷健次郎の著作をむさぼり読んでいた。
この「『ふつうの子』なんて、どこにもいない」という本にも、困難さをかかえた子供がたくさん出てくる。
困難さをかかえた子をどんどん排除していいんですか?という問いかけだった。
もちろん排除しないでやっていくほうがいいのだ。
私には子供がいないので親のこととか子のこととかは気にしなくてもいい問題のはずだ。
でも世の中を作るのは小さい人たちに対する教育だ。
困難さをかかえた人たちをつまはじきにするような教育がされていると、じきに世の中がそうなってしまう。
実際そうなっているという説もあるだろう。
映画「みんなの学校」
「『ふつうの子』なんて、どこにもいない」の著者が初代校長をつとめていた、大阪の大空小学校の取り組みについて追ったドキュメンタリー映画、それが「みんなの学校」だ。
「一般的な」日本の小学校なら特別支援学級とか、そういう名のついたところへ通ってくださいと言われる子たちが6年生に10人くらいいて、「一般の」学級で生活している。修学旅行へも行く。
よそで難しい子だと見なされて放り出され、学校に行けていなかった子たちが大空小学校の校区に続々と引っ越してきて通い始める。
学校に対する根強い不信を持ち、教室がきらいな子たちだ。
当然軋轢が起きる。
冒頭からずっと、私はなぜか涙がとまらなかった。
なぜだろう。
たぶん私は、私もふつうに子をなして育ててみたかったし、自分の子がいたら話をしてみたかった、そのことにぼんやり気づいてしまったのだと思う。